マスク着脱

3月13日(月曜日)、待ち望んでいた日の夜明けが、曇り空で訪れている。きょうはマイナス思考をともなう、グダグダ文章は書かない。もしかすると死ぬまで、マスクの着用を強いられるのか? と、恐怖に怯えていた。ところが、きょうを境にしてマスクの着脱は、個人の判断に委ねられることとなる。日本政府のお達しだから、公(おおやけ)である。もちろん、一足飛びにマスクの着用が不要となることはないけれど、無言の同調圧力は免れそうである。私の場合、このことがことのほか、うれしいのだ!。近眼と両耳難聴ゆえに私は、耳穴は集音機で塞ぎ、耳たぶには眼鏡の柄とマスクの紐を掛けている。これらは、わが日常生活においてはきわめて煩わしい所作である。それゆえ、新型コロナウイルス発生以降私は、この三つ巴の所作からの解放を願い続けていたのである。一方でそれは、もう無理かな? と,諦めかけていたのである。ところがそれが、いまだに不完全ながらも叶ったのである。不完全というのは、場所や人の込み具合、さらには人様への迷惑、なお自分自身への感染の恐れを判断し、適応や対応を必要とするからである。そうであってもやはりきょうは、目の前に棚から牡丹餅がおちて来たごとくに、うれしい日である。これで、グタグタの書き止めである。飛んでもない、令和5年(2023年)3月、すなわち春日(しゅんじつ)の朗報である。私には桜便りを超えて、うれしい便りである。