気分直しは「望郷」

3月15日(水曜日)。夜明けが近づいて、仕方なく起き出している。しかし、気力がともなわなくて、書く気分を殺がれている。きのうはずる休みというより、根っから生きることに疲れてしまい、文章が書けなかった。生きることも、死ぬことも、たやすいことではなく、もとより人生行路は茨道である。きのうのメディアは、喜ばしいことでは死刑囚・袴田巌さんの再審決定を伝えた。このまま控訴なく、再審において無罪になれば、喜びひとしおを超えて、惨たらしい仕打ちである。もちろん私は、ご当人の無罪を望んでいる。しかし、無罪を得られても、つらい人生である。それと同時に私は、弟の無罪勝ち取りに生涯を懸けられているお姉様の肉親愛と優しさに涙する。しかし、これまた勝利に酔えないつらい人生である。一つには、ノーベル文学賞作家・大江健三郎さんの永眠が伝えられた。大江さんは作家活動一筋ではなく、諸々の社会問題を提起し、みずからそれと闘う、作家であられたという。きのうの私は柄でもなく、人様の人生模様をかんがみて、「生と死」にしみじみ感をおぼえていた。夜が明けた。気分直しに、望郷に浸る。ふるさとに存在する「相良観音」は、きょう(15日)から18日まで、春季恒例祭が営まれる。子どもの頃の私は、片手に硬貨を握り締めて駆けて行った。賽銭箱は用無しに参道で、ニッキ水と綿菓子を買った。減るのを惜しむように、ちょびちょび啜り、ちょびちょび舐めた。望郷こそ、気分直しの本山である。しかしながら、一足飛びはあり得ず、少しずつにすぎない。きのうは、まったく書けなかった。きょうは、少し書けた。一歩、前進である。望郷のおかげかもしれない。