他人様との会話を望む日常

2月6日(月曜日)、起き出してみると、寒気がぶり返している。書くネタもない。寒気に震えるより、休んだほうが身のためである。しかし、パソコンを起ち上げてしまった。せっかくだから一つだけ、わが現在の関心事を書き止めたい。新型コロナウイルスの感染者数は、このところ全国ベースで減る傾向にある。もちろん、喜ぶべきものである。なぜなら、予告どおりにことが進めば、マスク着用から解放されそうである。生きているうちのマスク着用の日常生活は、もうこりごりである。自分自身、鬱陶しいことが第一である。次には、他人様(ひとさま)との対面における、会話がもどかしいゆえである。いや、互いにコロナを気に懸けて、マスク着用では会話自体がなくなりつつある。人生の晩年にあって会話は、和みと意気を上げる命綱である。会話のない人生は、もはや生きる屍(しかばね)、人間とは言えない動物の範疇にある。政府の予告によれば、コロナのぶり返しがなくこのまま収束へ向かえば、5月8日にはマスク着用から解放される。日本政府の予告とはいえ、異界のコロナの動静しだいであり、当てにはできない神様頼りではある。しかしながら神様と違って日本政府の予告であり、私は予告の実現に期待するところ最大である。行動や外出自粛を強いられてきたコロナ発生以来の三年間は、人の、いやわが愉しみとする会話を殺がれてきた。そうこうしているうちに残りのわが命は、もはや後がない。挙句私は、死ぬまでマスク着用が強いられでもしたらと懸念し、その味気ない日常生活に恐々するところがあった。私は茶の間で対面する妻との会話だけでなく、戸外や路上で他人様との出会いがしらの会話を生き甲斐にして、わが命を長らえてきたのである。言うなれば私は、「会話こそ、人生の愉しみ、わが命の根源」と、肝に銘じてきたのである。すると、交わす会話に、マスクはお邪魔虫である。結局、コロナの収束、できれば終息、そしてマスク着用の不要予告は、現在のわが関心事のイの一番である。もちろんそれは、他人様との会話を愉しみ、わが残りの命に味付けをしたいためである。やや切ないけれど、会話のある日常生活こそ、わが最大の願望である。短く書くつもりだったのに、だらだらと火の気のないパソコン部屋に長居をしたため、身体は冷え冷えである。三寒四温、昼間は春の陽ざしになりそうな夜明け(朝日)である。