共に老いた、配偶者

2月7日(火曜日)。きのうぶり返していた寒気は、きょうは緩んでいる。本格的な春に向かって、特有の季節のめぐりである。2月はこんな日を繰り返しながら、暖かい確かな春三月が訪れる。その前にはこれまた、季節特有の「春一番」が吹く。自然や季節は老いることなく、過去の気象データに沿って、ほぼ正確にめぐってゆく。これに比べて人間には必定、老化現象という人生の晩年がある。このところわが夫婦は、まさしくその現象を露呈している。傍目には「オシドリ夫婦」さながらであろう。しかしながら実際のところは、共に切ない老い姿のさらけ出しである。それはときには腕を組んで、ときには手を取り合っての、ヨタヨタ歩きの光景である。「パパ。わたしの足に合わせて、歩いてよ」「合わせているよ」「もっと、合わせてよ」「そうだな」。このところの私には、妻の病院通いのための引率同行が増えている。病院へ行けば、どこかの調剤薬局へも回ることになる。現在妻は、大腿骨骨折による施術後の経過観察のための通院と、ほか諸々の体調不良ゆえの通院がある。これらに加わるものには、髪カットの外出がある。これらの行動は、ほぼ定期的にめぐって来る。妻は、大船(鎌倉市)の街への買い物行動はしないというよりできない。それゆえに大船への買い物行動は、わが単独の専売特許である。妻の通院は住宅地内の開業医院の一院と、ほかは往復定期路線のバスを利用しての大船である。たまに妻が買い物に出かける場合は、住宅地内の最寄りの「湖畔商店街」である。こちらにはリハビリを兼ねて、買い物車を引いて妻単独で出かけることもある。しかしながらそれでも、気に懸けるより出かけるほうがましだと、私は途中助太刀に向かう。わが買い物行動は、すべて遠出の大船の街である。そしてその行動は、おおむね週に二度である。もちろんこれは、妻の引率同行がない週のほぼ決まり事である。ところが、妻の引率同行があると、おのずからこのパターン(習わし)は崩れて大忙しになる。なぜ、こんな面白味のない私的なことを書いたかと言えば、先週・今週にあっては妻の引率同行が、わが日程に混んでいるからである。今週にかぎればきのうは、K耳鼻咽喉科医院(大船)、きょうは「大船中央病院」、そして金曜日(10日)には、民間のリハビリ施設(大船)における体験見学が予定されている。結論を急ごう。私の場合、老いて益々盛んというのは、妻の外出行動にともなう、切ない引率同行である。もちろん、好きなものを漁る買い物と比べれば、まったく楽しめるものはない。しかしながら妻は、みずからの人生を棒に振ってまで、心許ない田舎者の私に懸けてしまったのである。まさしく賭け、大博打(おおばくち)である。それを思えば、妻を粗末にはできない。ヨタヨタ歩きは、共に老いた配偶者の哀しみである。夜が明けて、妻の通院の準備も、率先躬行しなければならない。頼りない鬼の目にも、妻を案じて、しばし、涙タラタラでる。いや、自分自身の老いを案じている。