寒い朝

1月31日(火曜日)、きょうでもう、新しい年のひと月が過ぎる。命は早鐘を鳴らし、時々刻々と縮んでゆく。自分自身の命なのに、それを止めることはできない。これほどもどかしさを感ずるものが、ほかにあるのであろうか。やはり、不断「ピンピンコロリ」を口にするのは、遊び心の道化(どうけ)なのであろう。こよなく命を惜しむ、月替わりである。寒気は大団円を迎えて、ことのほか寒い朝である。なんだか、わが命の縮みに加速度をつけているようでもある。そうは言っても季節は、人間ほどには嘘を吐かない。なぜなら春は、もう目の前に来ている。木立の木々はやわらかく芽吹き始めて、庭中の雑草は日に日に萌黄色を強めている。雨戸を開けるたびに、梅の花の綻び、フキノトウの芽出しを確かめている。生きているからこそ、寒くても春待つ心は和やかである。きのうの私は、これまでとは意図して気分を変えて、わが柄になく「生存は美」と謳った。せっかくだからこの気分は明日まで、三日くらいは続けたいものである。しかしながらたぶん、その先はないであろう。なぜなら、私には生来、三日坊主という性癖(悪癖)がある。82年生きてきていまさら、この悪癖が正されることはあり得ない。それでも元の木阿弥にならないよう、気を引き締めて、悪癖打破に挑んでみたい。春になれば寒気は緩み、おのずからわが気分も解れてくる。そのため、まだ生きていた気分は横溢する。ようやく、新型コロナウイルスも収束へ向かいつつあり、五月になれば鬱陶しいマスクも外せそうである。抑制されていた様々なイベント(行事)も開放へ向かう。わが好むプロ野球は、明日から一斉に春季キャンプインである。節分(鬼は外)に備えて、先日の買い物おりには、早やてまわしに鬼退治に向けて、炒り豆を買った。春待つ心、まだ生きたいと願う心、旺盛である。寒気の大団円にあたっても、寒気に未練はない。しかし、寒気の打ち止めを願って表題は、「寒い朝」にしよう。起き立の、約20分の書き殴り、デジタル時刻は5:36、熱源の夜明けはまだ先にある。胸の鼓動と腕の脈拍は、生きている証しをしるして、コトコト、ドクドクと、脈打っている。