寒さと恥晒しで、身が震えている

1月17日(火曜日)、きのう緩んでいた寒気は一夜にして戻り、起き立ての私は、まったく火の気のないパソコン部屋で、ブルブル震えている。嘆いても仕方のない、季節相応の寒さである。カレンダー上の「大寒」(20日・金曜日)はすぐそこにある。寒気に一利あるとすれば気を締めて書き終え、階下の茶の間へ下りて、人工の暖を取ることである。しかしながら気の引き締めは叶わず、走り書きと書き殴りのコラボ(競作)となり、茶の間へ逃げ込むこととなる。結局、気の利いた文章は果たせず、人工の暖を取るだけとなる。就寝にあっては安眠を遮られ、起き立てにあっては文章に悩まされ、昼間にあっては生存(命)に脅かされる。わが日常生活における、つらい心模様である。小さいこととはいえ、わが人生(生涯)にまつわる厳しさの一端である。しかし、私にかぎらず世の中の人だれしもにも、生涯をまっとうするには厳しさがある。私はパソコンを起ち上げると真っ先に、ヤフー画面を開いている。そして、連なるニュース項目を見遣る。見遣る項目は、新聞記事の総覧みたいなものである。ごちゃまぜに、10項目くらいの見出し記事が羅列している。すなわち、人間の生き様を表す社会編である。それらを読むと多くの記事は、人間だれしも生きる苦しみの証しをなしている。なんで人間社会は、こうも悪徳まみれだろうと思うばかりである。いつものことだがまったく、善徳や良徳を表す見出し項目には遭遇しない。悪徳を並べるのは目立ちがりやのメディアの習性なのかと、勘繰りたくなる。いややはり、世の中の出来事は悪徳まみれなのかもしれない。ちっとは綺麗な人間社会を夢見て、いや現実に見て、あの世へ逝きたいものである。項目の中には開いて、深読みするものもある。ところがそれをすると、そののちの「ひぐらしの記」の執筆時間が圧縮される。あるいは、悪徳記事を深読みすれば、気分の落ち込みに見舞われて、文章書きの気分を殺ぐことになる。それを避けるために多くは、項目だけをサラッと読んで、駆け足で「ひぐらしの記」へ向かっている。こんなときにはもとより、気の利いた文章など書けるはずもない。なさけない、楽屋事情(話)である。こんな文章は、先へつなぐ必要はなく、これで書き止めである。いや、書かなければよかった、思う30分間ほどの書き殴りである。寒気に身が震えている。重ねて、恥を晒したことに身が震えている。夜明けはまだ先にある。幸いにも生存を叶える、命の鼓動は脈々とある。