戯れ文

1月16日(月曜日)、二つのごく小さい僥倖に恵まれて起き出している。一つは、「大寒」が今週(20日・金曜日)にひかえているのに、寒気は大緩みにある。一つは、恐れていた起き出し時刻の早さ(3時近く)の定着を免れて、いい塩梅の頃(4:59)に起き出している。この二つとは異なり、こちらは僥倖とは言えない不断の恵みだけれど、書けば読んでくださる人がいる。逆に言えば、読んでくださる人が絶えれば、即刻書き止める。このことは、虫けらの固い意志である。あえてこの理由を書けば、寝起きの眠気眼に加えて朦朧頭で、さらには文章に難儀し、恥を晒して書くまでもない私日記にすぎないからである。確かに、寝起きの駄文とはいえ、文章の体裁をととのえることには、ほとほとつらいものがある。換言すればそれは、わが脳髄の出来をはるかに超えた苦悶の作業である。挙句、こんな文章を書いては、あけすけに読んでくださることをねだっている。私は、身の程知らずの欲張りである。確かに、私日記であれば秘かに書いて、人様の目に晒さずとも満足すべきものである。ところが、これに反する心境をたずさえているのは、私日記をブログに認(したた)めているせいなのかもしれない。すなわち、ブログこそ欲張りの根源を為している。いや、ブログゆえに、人様の厚誼に出合い駄文継続の支えにあずかっている。ネタの浮かばない起き立ての文章には、私自身、何を書いているのかさっぱりわからない。たぶん、頓珍漢なことを書いていることだけは、はっきりと請け合いである。きのうの「小正月」が過ぎて、いよいよ正月気分はおさらばとなる。だとしたらこの先、少しは増しな気の利いた文章を書かなければならない。きょうは三十分近くの殴り書きで済まして、気分鎮めを試みることにする。夜明けはまだ先だけれど、寒気の緩みにすがり、長く頬杖をついて迷想を愉しむつもりである。こんな文章は読んでくださらない人がいても、もちろん書き止めの原因にはならない。なぜなら、単なる身勝手な継続文にすぎないからである。やはり文章は寒気に身震いしてこそ、体裁をととのえる意気が沸き立つのかもしれない。ほとほと、かたじけない文章である。デジタル時刻は現在、5:34と刻まれている。表題のつけようがない戯(ざ)れ文である。