小正月・旧正月

1月15日(日曜日)。おととい、きのうに続いて、きょう三日目、ほぼ同時刻(三時前)に起き出して来た。私は、こんな時刻の起き出しの定着を恐れていた。ところが、あにはからんや! 三日も続いてしまった。それゆえにこの先へ続けばと、恐怖感つのるばかりである。しかしながらきょうの起き立てには、この二日とは違って、かなり安穏するところがある。おとといときのうの場合は、目覚めて起き出すまでには二時間余、寝床の中で眠れず悶々とし、仕方なく起き出した。そのせいで起き立ての気分は、憂鬱状態に陥っていた。ところが、この二日に比べればきょうの寝起きは、形(時刻)はほぼ同じでも中身は、雲泥の差と言えるところがある。きょうの場合は、二時間余の悶々とする時間は免れ、ぐっすり眠れて起き出している。おのずから起き立ての気分は、全天候型に良好である。わが日常生活における気分の良し悪しを最も左右するのは、あらためて安眠の可否であることを知るところである。起き立てにあって、電子辞書を開いた。【袋小路】「行き詰まって通り抜けることのできない小路。転じて、物事の行き詰まること。対比の言葉は抜け小路」。なぜ? 知りすぎている安易な言葉なのに、あえて電子辞書を開いたかといえばこうである。すなわちそれは、人生の晩年を生きる現在のわが身の立場を象徴しているかのように思えたからである。具体的にはもはや過去にこだわりすぎることはできないし、無論、この先のことは書けない。そのため、ネタ不足に陥った現在の状態を、まるで袋小路だな! と、思っていたからである。ネタ不足に手を焼いてきょうの私は、カレンダー上の「小正月」(きょう15日)にかんがみ、ネット記事を閲覧した。以下は、似通った二つの引用文の抱き合わせである。「小正月とは、正月15日の行事である。または、14日から16日までの3日間、または、14日の日没から15日の日没まで、または、望の日、または、元日から15日までの15日間ともされる。 本来旧暦だが、明治の改暦後は新暦1月15日、もしくは、2000年からは成人の日に行われる場合もある。1月1日の大正月に対して,1月15日を中心にした数日をいう。農耕に関する様々な予祝・年占(としうら)の行事や,鳥追い・どんど焼き・なまはげなどの行事が行われる。二番正月。松とりて、世こゝろ楽し、こしょうがつ( 芭蕉)」。私は「小正月」にまつわる子どもの頃の思い出にすがり、小正月を祝っている。懐かしく甦る思い出は二つある。一つは「どんど焼き」であり、一つは母が煮炊きした雑煮餅を、父と数を争って食べたことである。当時の父と母は、「小正月」を「旧正月」と言っていた。再び、電子辞書を開いた。【旧正月】「旧暦の正月」。やはり私は、ネタに過去のことを書かないと、袋小路に嵌った状態にある。夜明けは、まだ先のところにうずくまっている。デジタル時刻は、4:19である。