書くまでもないことをだらだらと書いた、継続文

1月6日(金曜日)、起き立ての私は寒気にたいし、やせ我慢を強いられている。まったく火の気のないパソコン部屋は、たちまち私に底冷えをくらわしている。それゆえ現在の私は、いつものわが甲斐性無しの嘆き節にある。寒さ避けにあっては高橋弘樹様から、貴重なアドバイスをいただいている。ところが恩知らずの私は、いまだに実践躬行を為していない。高橋様にたいし、衷心よりお詫びするところである。安価なカイロを肌着に張り付ければ、かなりの寒さ対策になる。このことは、過去のなんどかの体験で十分知りすぎている。しかしながら、こんな些細なことさえこの冬は、未実行のままである。こんなずぼらなことでは、メソメソしながら寒さに耐えるしかない。結局、何かについて私は、怠け者である。もちろん私は、期間が限られ、かつ安価なカイロに金銭を出し惜しみするつもりはない。確かに、冬に用無しの「ゴキブリホイホイ」を買うくらいなら、用有るカイロをかったほうがはるかに増しである。「わかっているなら、なぜ買わないの?」と、自問すれば答えは、「うっかり、買い忘れていた」くらいである。確かな、過去体験である。なお体験を重ねれば、慌てて買うと「六日の菖蒲、十日の菊」の成句ごとくに、時季外れに遭遇した。やはりカイロは冬の始まりや寒気の訪れを前にして、早やてまわしの備えが肝心である。もちろんこんなことは、82年も生きていればわかりすぎている。ところがそれさえ実行せず、毎年寒さを嘆くのは、よほど私はバカ者であり、怠け者なのであろう。私の場合、愚痴と後悔は、ほぼ同義語である。だからわが文章は、どう気張っても愚痴と後悔を逃れることはできない。いや、この二つを断てば私は、一字一句さえ文章が書けない。すなわちこの二つは悪魔にも思えて、心の襞(ひだ)に張り付いているわが生来の錆(さび)である。冬の寒さや、あれやかれやに脅かされて書き続けることは、生来三日坊主に私には、つらさが身に沁みて堪えている。もちろんこんな文章では、不断交誼にあずかる友人や知人にたいしてさえ、「読んでみてください」と言えないつらさも、わが身に同居している。起き立ての書き殴り文は、これで書き止めである。恥を掻き捨てたので、いくらか気分は和みつつある。つれて、体感気温が緩めば儲けものだけれど、そうはいかず寝床へとんぼ返りを試みる。デジタル時刻は、いまだ夜明け遠い5:34である。