歳末風景、歳末商戦

12月26日(月曜日)、いよいよ令和4年(2022年)の最終週の夜明け前を迎えている。土竜(モグラ)のごとくにすばやく寝床に潜っていたら、「暖を貪り」起き出しが遅れてしまった。そのため慌てふためいて、パソコンを起ち上げている。もちろん脳髄には、塵(ゴミ)さえなく空っぽである。こんな実のない文章を書くために、ち上げたのではない。浅ましくも、続を断たないためにすぎない。しかしながら、こんな文章では継続文にはなり得なく、いたずら書きの誹(そしり)は免れない。イブそしてクリスマス共に過ぎて、街中の商戦は入れ替わり、本番の歳末商戦たけなわとなる。いや、きのういつもの大船(鎌倉市)の街へ出向くと、入れ替わらず抱き合わせの商戦で、それぞれの店舗は買い物客でごった返していた。多くの学び舎は、すでに冬休みに入っている。そのせいかいつもと違って、多くの若者たちも繰り出していた。まさしく絵のような、歳末商戦風景であった。今時、テレビショッピング花盛りの世とはいえ、生きるために人間が繰り出す、子どもの頃から馴染みのある歳末風景である。おとなの財布の中の金銭は、未練を残しながら減り続けるけれど、一見、おとなにも楽しい風景である。歳末商戦はやはり、買う方にもいつもの買い物とは違って、お金が減る割にはワクワク(感)するところがある。おのずからそれには、「新年・正月」における祝膳や一家団欒が控えているせいであろう。逆に売る方は、このワクワク感がつけ目である。華やぐ売り場は、日本の国にはこんなにもいろんな品物があるのか? と、わが目はキョロキョロするばかりである。歳末商戦は、人間の知恵が産み出した商品の花盛りである。余程、「買うまい」という、意思を強く持たなければ、私はイチコロに売り手、すなわち商戦に負けそうである。それでも、歳末商戦を日本古来の「お祭り」と思えば、存分に楽しめるところはある。なぜならそれは、わが心中に織り成す「買うか、買うまいか」という、駆け引きの楽しさでもある。加えて、買い物客の渦に塗れる楽しさでもある。きょうは文章の体を為さない駄文に、浮かぶままのネタを付け足しして、結び文とするものである。冬至が過ぎて、夜明けが早くなっている。私は、朝御飯の支度に焦っている。