押し迫った年の瀬、一年を顧みてのわが心境

12月25日(日曜日)、起き立てのわが脳髄には、こんなことが浮かんでいる。物事には、押し迫るという表現がある。この表現を用いれば、令和4年(2022年)は、いよいよ残り一週に押し迫る。年の瀬という川の流れは河口へ辿り着いて、大海に呑み込まれて淡水は鹹水(かんすい)、すなわち海水に変わる。単なる書き出しだから、こんなことはどうでもいい。六十(歳)の手習いにすぎない私は、それゆえにほぼ毎日、下手な文章を書き続けている。だから苦心惨憺、雲を掴むほどの困難事である。野球の場合はファン、サッカーの場合はサポーター、大相撲の場合は狭義にはタニマチ、すなわち競技(者)には総じて観客という、支持者が存在する。これらになぞらえれば作家(文章)には、読者という支持者が存在する。確かに、それぞれに言葉は異なっても、支持者がいてこそ競技(者)は、永続的に存在する。なぜ、こんなことを書いているの? と、自問する。すると、桁違いではあるけれど、文章を綴るわが心境が、ちょっぴり競技(者)の心境に似ているからである。すなわちわが文章は、書けば何人かは読んでくださるという、ご常連様の優しさに支えられている。もとより義理を恃(たの)んで、友人、知人へ「読んでください」と、頼み込んだゆえのご常連様だから、ファンやサポーターとはまったく異なるものではある。しかしながら私は、それらの人の優しさに支えられて、長く文章を書き続けている。確かに、ご常連様の恩恵がなければ、私は文章を書く気にはまったくなれない。このことではたとえ数名になろうと、掲示板を開いてくださるご常連様は、わが文章継続のためには大事きわまる人たちである。押し迫った年の瀬にあって、書かずにはおれないわが心境である。私は日々、掲示板に表記のカウント数を数えている。なぜなら、カウント数が止まれば、即私は、文章は止めるつもりだからである。確かに、下手な文章ではあっても、書くことはつくづくわが心身に堪えている。私にはご常連様の支えが満員の観客、すなわちファンやサポーター同然となっているという、思いがある。この文章は年の瀬押し迫るなか一年を顧みて、ご常連様にたいしあらためて、感謝と御礼の心を添えるものである。起き立てにあって、寒気も気分も緩んでいる。こんなことは、めったにない。