人間の感情、わが感情

12月16日(金曜日)、年の瀬は早瀬のごとく流れている。落ち葉の数は日に日に減り、山や木立は冬枯れの季節を深めている。路傍の草花や庭中の雑草は、枯れたり萎えたりしている。人間は感情の動物である。それゆえに、生きとし生けるものの中にあっては、すこぶる崇められている。しかしながら、人間に感情があるのは良し悪しでもある。なぜなら、草木のように無感情であれば心の動揺は免れる。なまじっか感情があるゆえに人間は、日々葛藤や諍いの渦に放り込まれて、心が安らぐことはない。すなわち人間の感情は、心の安寧や世の中の平和、崩しである。きょうの私にはいつもとはやや違って、確かな胃部不快感をたずさえての「大船中央病院」(鎌倉市)の消化器内科へ通院予定がある。おのずから、年の瀬にあってほとばしる通院感情に見舞われている。感情があるかぎり、もちろんきょうにかぎらず私には、さりげなく通院する勇気はない。起き立ての私は、こんなわが柄でもないことを心中に浮かべていた。とことん、寒さが肌身に堪えている。だから、こんな文章の先は、身体をブルブルさせてまで書く価値はなく、これで書き止めである。胃部不快感は、わが気分を殺いでいる。口内炎は、いまだに舌先を脅かしている。つらい気分である。確かに、人間に感情があるのは良し悪しである。デジタル時刻は、現在4:38と刻まれている。