12月15日(木曜日)。寒さと年の瀬のつらさが身に沁みる。こんなことは書かなければいいのに、起きて、心中に浮かんでいる日暮らしのことゆえに、書かなければならない。私は、だんだんと日常の生活力に不安をおぼえている。妻と自身の体力および気力の衰え、金銭の不足、加えてわが身を取り巻く諸々の難事のせいである。しかしながら、いずれにも解決策はなく、日々心を痛めているだけの大損である。もちろん、憂さ晴らしや憂さの捌け口にもならず、まったく書く価値はない。それでも、人生晩年のわが生き様として、書いている。もとより、恥を晒すだけでなく、わが身に堪えている述懐である。こんなことでは、「単行本・夢の100号」の実現は、書く気力の喪失をともなって、「空夢」を招くであろう。限りある人生行路は、晩年があってようやく、打ち止めとなる。それゆえに晩年の生き様は、人生の良し悪しの決め手となる。ところが私は、晩年にあって、こんななさけないことを書いている。単なる愚痴こぼしではなく、わが身に堪える現実である。確かに、生涯をまっとうすることは、人生の一大事業である。継続文にさえならない文章は、この先は書き止めである。寒さとつらさが身に沁みる、年の瀬の半ばである。わが人生は河口、すなわち終焉に向かって、なお続いて行く。その証拠には年の瀬が過ぎれば、新たな年が流れてくる。早瀬であればたぶん、私はブクブク、溺れるであろう。