滞っている決断

 きのう(十月十九日・月曜日)の「大船中央病院」(鎌倉市)への予約通院においては、採血による診断が行われたのみだった。数値の異常値は、常態化している二つの検査項目に表れていた。一つは「クレアチニン値」(腎機能)であり、1・30と記されていた。基準数値にたいし、「高」表示である。一つは「LDLコレステロール値」(悪玉)で、171と印されていた。これまた、基準値にたいし「高」である。ずっと高止まりにある二つ項目の数値ゆえに、私は淡々と数値に目を落とし、先生の言葉をあたりまえのように聞いていた。双方共に、薬剤の処方箋はなく済んだ。かつて、薬剤の副作用に悩まされて、そのおりから私は、薬剤投与を拒んだ。そのことが尾を引いているせいである。
 しかし、きのうで通院縁切りとはいかず、次の予約日が来年(令和三年)の三月二十九日に決められた。心中、通院縁切りを願っていたけれど、それは叶わず私は、少なからず落胆した。一方では、ちょうど半年先までの存命の保証にあずかった気分でもあった。こんな馬鹿げたことでも思はなければ、通院は虚しいことばかりである。まったく様にならない、きのうの通院報告である。いや、様になっては困る、採血と診断報告である。
 次に控えるのは、のた打ち回るほどに大いに様になる歯医者通いの決断である。決断と記したのは、少しばかりの痛みの和らぎに騙(だま)されて、今なお断を下しかねているからである。一旦、歯医者通いを決め込めば、予約の繰り返しを強いられて、たぶん半年近くの通院を覚悟しなければならない。もちろん、そのつど多額の医療費を払う羽目にもなる。それでも過去の経験では、歯の痛みに勝てず、後れて泣く泣く行くこととなる。
 確かに、歯痛だけは自然治癒の蚊帳の外にあるものと知りすぎていて、もちろん私には抵抗する術(すべ)はない。このことは十分に分かっている。しかし一方、できたら先延ばしにしたくなる物事の最高位にある。とりわけ今回、歯医者通いを決断すればこれまでの長いあいだの我慢が祟り、いたるところの治療に及びそうである。もしかしたら、根こそぎ歯を削り取られそうでもある。それを恐れてこれまで、みずからに我慢を強いてきた。そのため、通院を決断すれば、このしっぺ返しをこうむるのは明らかである。すると、我慢へ逃げ込みたくなり、また決断が鈍るのである。
 しかしもはや、決断は一両日にきている。確かに、高齢(八十歳)にして存命に恵まれていることは果報者である。一方では、生きることの苦難をひしひしと感じている。なかなか、秋の夜長を愉しめない、なさけないわが身である。
 ネタ不足のせいで、書くまでもないことを書いてしまった。夜明けはまだ先である。わが気分の和らぎは、なお遠く闇の中にある。