冬の入り口にあって、「春よ、来い」

12月13日(火曜日)、季節めぐりからすれば、あたりまえのことではある。しかしながらこのところの起き立て、すなわち夜間あるいは夜明け前の寒さは、酷くわが心身を虐めている。表現を重ねれば、長引いている体調不良に加えて、このところの寒さは、とことんわが心身に堪えている。山や木立は、日に日に冬枯れの様相を深めている。花々の少ない季節にあって目の保養を恵むのは、梅雨時の紫陽花のごとくわが世の春を謳って、凛凛と咲き誇る椿と山茶花である。渡り鳥は見知らぬ国へ里帰りし、古米をどっさりばら撒いても、姿を見せてくれない。虫けらどもは春先の出番(啓蟄)を窺い、地中深く冬ごもりの最中にある。草花をはじめ花卉、そして春野菜類は種や苗を育み、早春の芽吹きを待っている。木々の枝葉は、蕾を熟成中である。生きとし生けるもの、命あるもの、森羅万象すべて、近づく冬本番と勢いづく寒気に耐えて、それぞれの塒や地中あるいは樹幹に籠もり中である。水中や海中の魚介類も大方、水温む早春を待っているのかもしれないが、凡庸なわが脳髄の知るところではない。きわめて厚かましいけれど、未だに冬の季節の入り口にあって私は、早春の暖かさに寒気の緩みを託している。ほとほと、私は愚か者である。そのせいかわが心中には、「バカは死ななきゃ治らない」という、なさけない成句が浮かんでいる。このところの私は、体調不良に加えて寒気が心身に堪えている。さらにはこのところの私は、書き殴りのだらだら文を続けてきた。そのせいで、わが心身は疲れている。良かれと思い書き続けてきたのに、まるで悪の報いとも思う、しっぺ返しを被っている。それゆえにきょうは、尻切れトンボを恥じることなく、意図して結び文にすがるところである。冬本番を控えてわが心身は、早や寒気に負けそうである。人生の下り坂にあっては、エンジンブレーキさえ効かないありさまである。夜明けの明かりは見えず、暖気を恵む朝日は、いまだ雲隠れである。おのずからわが身体は、冷え切っている。体調の戻る気配はない。