通院に怯えている、わたし

十二月十一日(日曜日)、願い叶わず、いつものようにドジを踏んで、起き出している。就寝時にあって私は、「きょうこそは、明るく楽しいネタの文章を書こうね…」と、わが脳髄に命じた。ところがどっこいわが願いは、頼りにする脳髄にいともあっさりと裏切られた。もちろん、脳髄のせいではなく、わが身体内の別の器官のせいである。犯人探しをするまでもなく、夜間の目覚めを誘発したのは、このところ愚図ついている胃部不快(小痛)のせいである。胃部不快は口内炎の発症をもたらし、挙句私は、気鬱症状に陥っている。なんだかこのたびは、これらの症状が治りきらずに長引いている。今週の金曜日(12月16日)には、一年越しに予約済みの「大船中央病院」(鎌倉市)の消化器内科における主治医先生の診立てがある。あいにく、いつもの通院とは異なり、私は診断結果に今から、かなり気を揉んでいる。たぶん、主治医先生から、「一年間、どうでしたか。念のため、内視鏡(胃カメラ)、やりましょうか…?」と、言われそうである。胃カメラはこれまで、何度かの経験済みである。そのたびに、「はい、わかりました。お願いします」と、素直に応諾はするものの、ほとほと恨めしい宣告である。実際のところ私は、適当な間隔をおいて胃カメラと大腸カメラの繰り返し検査に応じてきた。体験的に双方のカメラの施療のおりのわが気分は、はるかに胃カメラの方に脅かされてきた。そのため、今回の通院におけるわが意志は、できれば胃カメラは免れたい思いが山々である。それを免れるためには、こんな会話で逃れるしか便法はない。「どうですか。何か気になるところがありますか?」「いいえ、自覚的には何もありません」。しかしながら、こんな嘘っぱちの返答では、私は「何のために、予約までして通院するのだろう…?」という、自己欺瞞に陥るところがある。それゆえか現在のわが心中には、「バカは死ぬまで治らない」という、なさけない成句が浮かんでいる。胃痛のせいで目覚めて、きょうの文章は、端から休むつもりで長く寝床に寝そべっていた。ところが、それに厭きて起き出してきた。早く起きれば夜明けまでの暇つぶしに、パソコンを起ち上げるのは、わがしがない習性である。そして書けば、いつもおおむねこんな泣き言まじりの文章である。もとより願っても、明るく楽しい文章など、夢まぼろしである。現在、デジタル時刻は、5:33の刻みにある。夜明けまではまだ遠く、だからなおこの先を書かなければ、暇は埋めきれない。けれど、わが脳髄は「あなた、こんなくだらない文章、もうやめなさい!」と、叫んでいる。私は「そうだね…」と呼応し、指先の動きを止めた。今週に予定の通院は、はなはだ気懸りである。私は、病根を見つける精密機械は好きではない。あほらし!