晩秋の夜は長い

 海の向こうのはるかに遠い異国・アメリカのこととはいえ、毎日テレビニュースで醜態ぶりを見せられると、ほとほとうんざりする。世界の盟主を自任するアメリカがこんな国であったのかと、日々驚くばかりである。こんな国に操られ、従順を余儀なくしてきた国々は哀れである。無念かな! わが日本の国は、それらのイの一番に連ねている。
 今さらながら私は、ひとりの人間のしでかす恐ろしさを身に染みて学んでいる。教科書で学んだかつての世界の独裁政治は、国民という民衆の考えなど、有無を言わせぬものがあったようである。このことからすればこのたびのアメリカの騒ぎぶりには似て非なるものがあり、むしろ歓迎すべきものであるかもしれない。しかしながらやはり、尋常ではない混乱ぶりである。
 民主主義の根幹をなす選挙にあって、私には腑に落ちないことだらけである。簡易に「分断」という言葉が用いられているけれど、アメリカの国に根づく何かがあるのかと、疑うばかりである。負けが濃厚と言われている候補者は、選挙の打ち止め、やり直し、票を数えるな! などと、言いたい放題の悪態ぶりである。さらには、法廷闘争という言葉が飛び出している。ほとほと、呆れるばかりである。
 この騒ぎの中にあってあらためて学んだのは、人間につきまとうエゴ(利己主義、自分本位)である。やんぬるかな! このたびは、世界中の人々の目に晒されたエゴの丸出しである。醜い争いの状況を繰り返し垂れ流すテレビニュースは、もう打ち止めを願うところである。確かに、それなら観なけりゃいいものだけれど、テレビニュースはこのことばかりで、いやおうなく目に入る。
 こんなおり、日本社会にあっては、おととい、きのうと連日、新型コロナウイルスの感染者数が千人を超えている。恐れていた第二波が現実になりつつあると、言えそうである。きょう(十一月七日・土曜日)の数値が気になるところである。
 ところが、新型コロナウイルスは、世界中で勢いを増していると、伝えられている。好季節にあっても、世界の人々の気分の休まるところはない。特にアメリカでは選挙騒ぎの間隙をついて、感染者数が増え続けているという。飛んだとばっちり、選挙の騒ぎが止んで、「開けてびっくり玉手箱」と、ならないことを願うばかりである。
 ひとりのバカのしでかしだから、嘆くのはソンソン(損々)である。晩秋の夜は長い。書き続ける時間は、まだたくさん残っている。しかし、この先を書く気分は殺がれている。