令和二年十一月八日(日曜日)、パソコンを起ち上げると、ヤフーニュースの項目にはずらり、アメリカの大統領選挙における帰趨が並んでいた。私はバカ騒ぎに同調するほどバカではないため、どれひとつ記事を読むことはなかった。バイデン氏が勝利確実 米報道・バイデン氏が過半数 開票速報・バイデン氏「信頼得て光栄」・バイデン氏支持者 喜び爆発・トランプ氏 敗北認めない姿勢・トランプ氏、ゴルフに向かう。
こんなことより、私自身のことが一大事である。この世で最も柔らかい食べ物と思われるヨーグルトを食べている最中に、前歯の一本がポロリと、ふぁふぁのヨーグルトの中に落ちた。音がするはずもなく目で確かめ唖然として、親指と人差し指を濡らし挟んで拾い上げた。悔しさがつのり、慄然とした。恐る恐る欠けたところへ人差し指を当ててみた。死火山の噴火口みたいにポッカリと大きな穴が開いていて、武骨な指先がすんなりと入った。現在治療中の部位ならまだしも、治療部位から免れていた歯の欠け落ちである。表現を変えれば、悄然とした。
両耳の難聴は、ますます度を強めている。金婚式を超えて慣れ親しんできた妻との会話によるコミュニケーションは、聞こえたふりしての実のない空返事ばかりである。
目は人生最期の時まで、緑内障進行防止の点眼薬の囚われの身になりそうである。国庫の財政事情からすれば、医療費の無駄遣いと言えそうである。皮膚は恥を忍んで正直に書けば、約半世紀にわたり「痒痒病(かゆかゆびょう)」にとりつかれている。ところが、病院通いを嫌って、市販の痒み止めでお茶を濁しているありさまである。
口内は数年前のピロリ菌退治が功を奏して現在は治まっているけれど、物心がついた頃より口内炎の痛さに悩まされ続けてきた。五官にあって鼻だけは唯一、今でも本来の機能を保っている。ところが鼻の造作(ぞうさ)は、鏡を翳(かざ)すと見るも哀れな団子鼻である。しかし、今さらながら造作の不出来など、気にしてどうなることでもない。病に罹らず本来の機能を果たしてくれさえすれば、恩に着るところである。いや、今では愛(いと)おしい団子鼻である。
五官ではないけれど、せっかくだから二つほど書き足せば、顔面は皺くちゃで、頭部はピカピカの禿げと残り毛の真白髪の光景を曝け出している。すなわちわが身体は、五官や目で見えるところの一部だけでも、今や年寄りの証し横溢である。目に見えない身体内部(内臓)の衰えなど、知らぬが仏である。
唯一、救われているのは、バカをバカと認識するほど、わが脳髄が馬鹿ではないことである。晩秋から初冬にかけての夜は、いと長し。