偉業にまつわるエピソード

 きのう(令和二年・二〇二〇年)、感銘を受けた国内外の出来事を一つずつ記録に留め置くものである。一つはテレビで視聴したアメリカ大統領選挙における、バイデン新大統領の勝利者宣言の演説の素晴らしさである。すなわち、バイデン新大統領の演説は、混迷を深めていた選挙を一挙に打ち晴らすものだった。広大なアメリカ合衆国は、一人の有能な個人で救われたとも言える、気高く劇的な演説だった。
 日本国内の出来事では、プロ野球・読売ジャイアンツ球団に所属する坂本勇人選手の快挙・偉業だった。坂本選手はきのうの東京ヤクルトスワローズ戦(東京ドーム)において、2000本安打を達成した。2000本安打達成自体は史上53人目である。これに加えて特筆すべきは、31歳10か月という、史上2番目の若さでの達成である。このことからかんがみると安打の記録は、この先まだまだ途轍もなく伸びるであろう。残念ながらわが余生では、それを見届けることはできない。私はジャイアンツを宿敵とするトラキチ、すなわち狂人まがいの阪神タイガースファンである。それでも、坂本選手の偉業は称えずにはおれない。そのためきょう(十一月九日・月曜日)は、坂本選手とマー君(ニューヨークヤンキース球団所属・田中将大選手)にまつわる小学生時代の微笑ましいエピソードの記事をそっくりそのまま引用するものである。二人の少年の志は、国内外で大きく実ったのである。バイデン大統領の品格に加えてこれまた、人間の素晴らしさの証しである。
 【怒られ半べそ……マー君父に諭された坂本少年が今や】(2020年11月8日20時22分 日刊スポーツ)。坂本がエースで、マー君が捕手。右打者史上最年少で2000安打を達成した巨人坂本勇人内野手と、ヤンキース田中将大投手は小学生時代に同じチームでプレーしていた。球界内外で広く知られるエピソードだが、2人が円熟期に入った近年、その数奇な運命はさらに際立つ。2人が所属した昆陽里タイガースの当時の監督、山崎三孝さん(75=現理事長)は、坂本について「勝った、負けたで泣いたことはないけど、野球を雑にやっていて『やめてまえ。帰れ。2度と来るな』と怒ったことが2回、あります」と思い返した。「1回目は5年生の時。ショートをやっていて、5月か6月かの練習で、できるのに手を抜いていた。2、3歩、動いたら捕れるのに、手だけ伸ばしていた。それで怒りました。半分、泣いてました。その後、マー君の父親、田中コーチが10分ほど口説いて、私のところに謝りに来ました。『ちゃんとします。許して下さい』と。先輩の投手のところにも謝りにいってました」「2回目は6年生の時。夏休みの伊丹での大会、初戦の先発メンバーを外しました。べそかいたけど、みんなの前では格好つけたいタイプ。陰で涙を浮かべていた。こっちに来ても帽子を深くかぶって、なかなか取らなかった。格好をつけるのは、今でもそうでしょう。ただ、今は周りの目標が坂本選手になった。もう手を抜けない。自分が手を抜いたら、周りに注意できなくなる。キャプテンをさせて、今の立場になったのは一番いい。一選手のままだったら、あそこまで伸びてないのでは。立場が伸ばした」と感じている。6年生でエースになった坂本は、中学、高校を経て日本を代表する遊撃手になり、捕手だった田中は大リーグで活躍する投手に成長。第2の坂本、マー君の育成へ、75歳になった山崎さんは「枯れ木のにぎわいです」と笑いながら、今でも週3回はグラウンドに通っている。教え子たちの活躍は何よりも楽しみ。「ハードルが高ければ高いほど、向かっていく。毎日、テレビで応援してますよ。妻から『お風呂に入って』と言われても『この打席が終わってから』って言ってます」