頃は良し、晩秋の大団円の「文化の日」(十一月三日・木曜日、祝祭日)の夜明け前にある。私は二度寝にありつけず、眠気眼と朦朧頭、加えて憂鬱気分の三竦(さんすく)みの状態にある。それゆえに、せっかくの好季節は、ズタズタに台無しである。起き立ての私は、自分もそうだけれど、だれもが知り尽くしている簡易な二つの言葉を浮かべて、あえて電子辞書を開いた。【晩年】:「一生の終わりの時期。死に近い時期。年老いたとき。晩歳」【晩節】:「①晩年、老後②晩年の節操③末の時、末の世、末年④季節の終わりの時期」。これらのことから、晩年、晩歳、晩節は、ほぼ同義語と言える。初見の「晩歳」を加えて、文化の日にあってのわが新たな学びである。ところがどっこい、なぜ? こんな言葉にさえ電子辞書を開いたかと言えば、それはこんななさけない理由のせいである。すなわちそれは、わが晩年を生きながらえることに苦しんでいるためである。晩秋の自然界は、黄葉、紅葉はもとより、枯葉や落ち葉の季節である。晩秋の空、秋天高い日本晴れの下、枯葉は微風(そよかぜ)なくとも、ひらひらと舞い落ちる。その光景に見入り、しばしたたずむ私は、枯葉の落ち方に憧憬(しょうけい)を抱いている。わが命の絶え時にあっては、私はのたうち回るのであろうか。晩年、晩歳、そして晩節、いずれも言葉の響きはいいけれど、内実、これを生き抜くには、塗炭(とたん)の苦しみがある。書くまでもない、バカなことを書いてしまった。まだ、夜明けの明かりは見えない。わが心、果て無く寂しい、文化の日である。