この季節、わが家周辺には黄葉が目立ち、中にはカエデの紅葉がひと際、わが目を愉しませてくれている。台風さえこなければ土砂崩れの恐れは遠のいて、季節感満喫である。道路の掃除にあっては日を替えて、夥(おびただ)しい数の落ち葉が一面に敷きしめられている。私は、ときにはその光景に音を上げるけれど、これも期間限定と高をくぐり、いやむしろ季節の恵みと達観しているところもある。天変地異の鳴動さえなければ、晩秋から初冬にかけてのこの季節にあっては、自然界の恵みにおんぶにだっこの日常生活の楽しさを味わっている。ひと言で言えばこの季節のわが日常は、自然界のおりなす中にある。ところがこれは、文章に彩りを添えるフィクションのところがある。実際のところこの恵みをまたたくまに打ち消すのは、この季節に重なる寒気団の到来である。
きょう(十一月十五日・日曜日)、現在のわが身には、まったく寒気を感じない。そのため、こんな呑気なことを書いておれるのであろう。寒気にブルブル震えていれば、もちろんこんな自然界賛歌など書けず、ただただ自然界の仕業が恨めしいかぎりである。現在の暖かさから推し測ればおそらく、きょう一日じゅう、なかんずく昼間は季節狂いのポカポカ陽気に恵まれそうである。そうなれば飛びっきりの「七五三」日和に恵まれることとなる。あたかもきょうは、家族総出の叶う日曜日でもある。ただ惜しむらくは、新型コロナウイルスの感染蔓延の最中にあっては、マスクの着用、三密の避け、大声や会話をひかえた祝膳風景など、様変わりを強いられることである。
かつての私は、七五三の日にあっては一つの恒例行動を成していた。それは、鎌倉市街に位置する「鶴岡八幡宮」へ出向いて、和やかな「七五三」風景を愉しむことだった。ところがここ二、三年は、これまた加齢のせいで、沙汰止みになっている。もちろんきょうもまた、こんなもの好きの勝手な行動は完封である。新型コロナウイルス禍にあっては、日本社会の要請に従って、できるだけ外出行動を控えなければならない。もちろん、きょうの七五三参り自体、いつもとは異なり「自粛、自粛」の掛け声の下、粛々と行われるであろう。
鶴岡八幡宮の大イチョウの樹は、台風で倒されて見る影もないけれど、ほかのイチョウの樹々の彩りは、満開の美的風景をきわめている。しかし、それを眺める人出は、新型コロナウイルスのせいで、例年に比べて少ないであろう。「ああー、もったいない、もったいない」。新型コロナウイルスは、ほとほと悪の根源である。