自然界は野山に秋色(しゅうしょく)を深めて、一日だけの小春日和でなくこのところは連日、初冬とは思えない暖かい陽射しをそそいでいる。人間界は新型コロナウイルス禍の恐怖の最中にあって、何ものにも勝る自然界の粋な計らいである。寒がり屋の私にはこれだけで十分の恩恵だけれど、図々しくもなお欲張って、この先の暖かい陽射しを願っている。しかしながら、自然界の法則によってそれは叶えられず、もちろん空望(からのぞ)みとなる。それだけに余計、私にはこのところのポカポカ陽気を寝溜めのごとく、わが身体に溜め込んで置きたい思いがある。ところがこれまた、「言うは易し行うは難(かた)し」の空望みである。
さて、きのう(十一月十六日・月曜日)における、日本社会にまつわる出来事の一つを顧みる。それは新型コロナウイルスのせいで、来年(令和三年・二〇二〇年)へ延期されている、「東京オリンピックおよびパラリンピック」にかかわる関係者の動向である。事の始めは、国際オリンピック委員会(IOC)・バッハ会長の来日である。バッハ会長に応じる日本社会の主なる関係者は、菅総理、小池東京都知事、森東京五輪・パラリンピック組織委員会会長と伝えられた。相次ぐ会談は、来年のオリンピックとパラリンピックの実現に向けて、強い決意のともなう「玉虫色の会談」で彩られたようである。もちろん、中止宣言を聞くより、歓迎すべき会談であった。
ところが、相次ぐ会談で一件落着とはまだ言えないところがある。わが下種(げす)の勘繰りではそれには、このところ第三波とも言われている新型コロナウイルスの増勢ぶりがある。もちろんそれは、日本の国だけにとどまらず世界中の傾向でもある。すると案外、世界中の世論が開催反対の声を上げかねないところがある。それらの声を跳ねのけての開催は、おのずから危ぶまれるところもある。わが老婆心をちょっぴり添えれば、関係者の保身まみれの開催宣言にならないことをひそかに願うところである。私は根っからのへそ曲がりである。いやいや、あまりにもニコニコ笑顔の「玉虫色の会談」の様子のテレビ映像に、わが眉を顰(ひそ)めたからである。