十一月二十日(金曜日)、長い夜。現在、パソコン上のデジタル時刻は、3:26と刻まれている。文章を書く気になれば時間は、まだたっぷりと残っている。ところが、書く気になれない。書けばおのずから、新型コロナウイルスの感染者数の数値になりそうである。いつまで続くかわからないことを日々書き続ければ、うんざり気分である。そのため現在の私は、意識してこのことを書くのは避けたいと思っている。すると一方で、そのとばっちりにあって書くネタがない。
このところ私は、昼夜を通して冬防寒重装備の着衣を脱ぎ捨てている。なんで連日、春先や初夏みたいな暖かい日が続くだろう。気象庁は異常気象と言い、科学者は地球温暖化傾向と言うのであろうか。暖かい夜にあっては、おのずから文章を書くには好都合である。しかし、書けない。このところの私は、昼間にあっては茶の間の窓ガラスを通して、わが家周辺の秋模様を愉しんで眺めている。実際には野山の黄葉や紅葉と、さらには微風(そよかぜ)にさえ逆らえず、散り急ぐ落ち葉しぐれの光景である。半面、そのしっぺ返しをこうむっている。
きのうの道路の掃除にあっては、45ℓ入りの半透明の袋が落ち葉を入れて、はち切れるほどに膨らんだ。もちろんこの時期にあっては、想定済みの落ち葉の量の多さである。わが物置には、100円ショップで買い求めた45ℓと70ℓ入りの半透明袋が積まれている。落ち葉の増え方を見越しての事前準備である。自然界の目の保養にすがり、一方では落ち葉の量におののく、この時期のわが日暮らしである。
新型コロナウイルスへの感染者の苦難をおもんぱかれば、落ち葉の量を嘆くのは、罰当たりになりそうである。やはり、新型コロナウイルスのことをちょっぴり書く羽目になった。それを避ければ、この先、もう書けない。