十一月二十七日(金曜日)、二度寝叶わず仕方なく、起き出して来た。現在、パソコン上のデジタル時刻は1:55である。この頃は、こんなどうでもいいことを書いている。寝床に寝そべりながらしばし、心中にこんなことを浮かべていた。今さらながらに日本社会は、新型コロナウイルスのせいで、ごちゃごちゃめちゃくちゃである。どうせまともな大会など望めようがないなら、「東京オリンピックおよびパラリンピック」(来年・2021年)は、潔(いさぎよ)く返上したらいいと、思う。なぜなら、これが足枷(あしかせ)となって日本社会は、新型コロナウイルスの本格的な防御策が打てないのであろう。オリンピック開催願望は、もはや関係者のメンツと、本音隠しの独りよがりにさえ思うところがある。臆測をしたがえたこういうわが思いは、おそらくバッシングを受けるであろう。しかしながら一方、日本社会の非常事態であれば、バッシングを恐れず本音を吐露しなければならない。オリンピックを目指している「アスリート(競技者)の思いをおもんぱかれば……」という建前は、もはや必ずしも適当ではなさそうである。アスリートとて、個々の練習環境の違いに直面しているはずである。さらに言えばこんな状況下にあっては、オリンピックにおける日本選手の活躍(金メダル)が、日本社会の鬱憤晴らしになるとは思えない。憚(はばか)らず言えばオリンピック開催願望は、もはや関係者の幻想の隠れ蓑と言えそうである。
私はこよなくスポーツ好きである。まして、このたびのオリンピックは、わが生存中における有終の美を飾る一大イベントである。それでもやはり、新型コロナウイルス禍にあっては、私はオリンピックの返上を願うところである。大会返上の理由は、素直に「新型コロナウイルスに負けた!」と、言えばいいはずである。案外、世界中の人々から、さらにはアスリートから、拍手喝采を浴びるかもしれない。とうに日本社会は、新型コロナウイルに負けているのである。この負けを長々と引きずるのは、日本社会の面汚しとも言えそうである。
きょうもまた私は、悶々とする長い夜に身を置いている。時刻は、いまだ真夜中(2:52)である。