来る日も来る日も、「コロナ、コロナ」

 わが下種の勘繰り、すなわち未熟な私見にすぎない。そして、きのう(十一月二十七日・金曜日)書いた文章の二番煎じを免れない。政府もっと具体的には関係者は、(来年・二〇二一年)の「東京オリンピックおよびパラリンピック」の開催にこだわり、新型コロナウイルス対策を意図的に小さく抑え込んでいたきらいがある。このことにからんで、再び記憶をそのときへ戻すと、IOC(国際オリンピック委員会)・バッハ会長の来日のおりの主たる関係者のはしゃぎようがよみがえる。ところが、皮肉にも新型コロナウイルスの感染力は、そのときから堰が切れたかのように勢いを増して、日本列島を蹂躙し始めたのである。そして、現在の日本社会(国民)は、感染の広がりに恐怖(感)をいだいて、日々あたふたとしているありさまである。ひと言で言えば新型コロナウイルスの感染の広がりにあって、今や政府は打つ手なしの状態にある。だからと言って、政府の対応を非難することはできない。なぜなら、まさしく魔界のウイルスがもたらしている、人類への脅威だからである。
 結局、新型コロナウイルスへの対応策は、人類こぞってのそれに打ち勝つ英知しかない。言わずもがなのことだけど、英知の確かな現われはワクチンである。アメリカを先駆けに、ワクチン投与が近づいているという。そうであれば人類共通の願いとして、開発されているワクチンの著効に期待するところである。さらには、「ワクチンに国境無し」を切に願うところである。
 さて、政府の分科会の尾身茂会長は、衆議院厚生労働委員会で、「多くの人に分科会のメッセージに対して協力してもらい、個人の努力を十分にやってもらったが、ここまで来ると、個人の努力だけで、今の感染が拡大している状況を沈静化することはなかなか難しい。問題の核心は一般の医療との両立が難しくなっている状況であり、個人の努力だけに頼るステージはもう過ぎたと認識している」と述べられた。関係者のメンツや保身にかかわる、オリンピック開催願望などかなぐり捨てて、新型コロナウイルスにたいし待ったなしの、いよいよ政府の本格出番を望むところである。
 オリンピック開催で日本の国の力を誇示しようとするのは、もはや関係者の傲(おご)りと言えそうである。もちろん、国民はそんなことは望んでなくて、目前の新型コロナウイルスのやっつけだけを望んでいる。そして、それが叶えば世界の人々は、おのずから日本の力を称賛するであろう。こうありたいものである。