感染症の恐ろしさを新型コロナウイルスのせいで、私は日々実感している。もとより、日本社会は為すすべなくお手上げ状態にある。このところ、新型コロナウイルスは蔓延状態になりつつある。
『第3波「見えにくい」クラスター、感染拡大か』(産経新聞)。「新型コロナウイルスの『第3波』の感染拡大要因に、『見えにくい』クラスター(感染者集団)の存在が指摘されている。無症状や軽症の感染者が検査前に水面下で感染を広げ、職場や大学、外国人コミュニティーなどの多様なクラスターを生み出している可能性がある。専門家は市中感染の蔓延期に差し掛かっているとみており、接触機会の削減を求めている。」
目に見えない水面下であれば、もはや防御のしようはない。唯一、カタツムリやミノムシのごとくに、身動きを止めて静止状態を貫くことこそ、最大かつ最良の防御策であろうか。しかしながら、動きを止めた人は、それこそ生きる屍(しかばね)であり、寸時さえそれはできない。だとしたらどうすればいいのか? その答えは、まるで幼(いと)けない子のままごと遊びさながらに、老若男女(ろうにゃくなんにょ)一様に、マスクを着けて行動するよりほかはない。
確かに、思いついた浅知恵のごとくにだれもかれもが、マスクを着けて動いている。ところが、新型コロナウイルスはその行為をあざ笑うかのように、へこたれず感染力を強めている。だから、「打つ手なし」、と言って防御策を諦めてはおれない。おのずから現下の日本社会は、新型コロナウイルスの防御策に大わらわである。しかしながら、いまだ確たる効果の見える決め手はない。つまるところ、だれしもがみずからを守ることこそ、ひいては日本社会の蔓延を防ぐ、社会貢献と言えそうである。
きょう(十一月二十九日・日曜日)、現在のわが身は新型コロナウイルスの感染恐怖に怯(おび)え、さらには突然の寒波に見舞われて、わが身はブルブル震えている。確かに、生きることは、日々苦難の闘いである。