慣用句「狐につままれたよう」

 きのう(十二月二日・水曜日)の文章で私は、気温高く暖かい日をもたらしている、自然界の恵みのことを書いた。この時期にすれば思いがけない暖かい日の恵みを、私は素直に喜んでいたのである。ところがきのうは、急転直下気温低く、途轍もない寒い日に見舞われた。昼間には、そぼ降る冷たい雨がともなっていた。私は茶の間に居座りながら心中で、一つの慣用句を浮かべていた。言葉の理解にいくらかこころもとないところがあり、電子辞書を開いて復習を試みた。あまりの天気の変わりように私は、「狐(きつね)につままれたよう」な思いをたずさえていたのである。
 おのずから見出し語に置いたのは、「狐につままれたよう」である。電子辞書の説明書きはこうである。慣用句:狐につまされる。解釈:狐にばかされたときのように、わけが分からなくなり、ぼんやりすること。今やありふれた日常語にもかかわらず、あらためて電子辞書にすがった理由はこうである。子どもの頃から人をばかすのは狸(たぬき)と教えられてきたので、私は狐のことばに戸惑っていたのである。そのため、狐に変えて狸とすれば、いくらかすんなりとするところがある。
 もうひとつ、馴染みの薄いことばがわが理解(力)を妨(さまた)げていたのである。それは「つままれる」という、ことばである。このため、こちらも電子辞書にすがった。先ずは狐と狸について、わが無知にかかわる正解を書けば、こう書かれていた。それは狐と狸共に、人を化かしたり、騙したりするものの象徴として用いられてきたという。わが無知は、狸だけにかぎっていたのである。私はそのしっぺ返しをこうむり、短い慣用句の一方の理解(力)を薄められていたのである。さらに、理解(力)を妨げるもう一方のことばが、「つままれる」であった。このことば調べに私は、動詞「つまむ」を見出し語に置いた。
 【撮む・摘む・抓む】「①指先で挟みもつ。②転じて、指先や箸で取って食べる。③要点を取り出す。④人をあざける。ののしる。⑤(受け身の形で用いる)狐・狸などが人を化かす。」
 わが恥を晒して長々と書いたけれど、「つままれる」ということばは、「化かされる」の同義語として、厳然と存在していたのである。
 きょう(十二月三日・木曜日)はのっけから、書き飽きしている新型コロナウイルスのことを書くのは避けようと思っていた。ところが、その代替のこの文章は、書いても読んでも、ちっとも面白くない、わが無知の晒し文である。私自身にはさておいて、読者各位様にはかたじけない思い、つのるばかりである。もとより、「狸にばかされたよう」という、慣用句であれば、恥を晒すこともなかったのかもしれない。ちょっぴり、残念無念である。それでも、急転直下の寒気がもたらしたわが生涯学習、曖昧な慣用句の意味を深めたことには、いくらかのご褒美と受け止めている。「痩せ我慢」と、言えなくもない。「痩せ我慢」:無理に我慢して平気なように見せかけること。きょうは、新型コロナウイルスのことは書かない。