八月二十二日(月曜日)の夜明けにあって、すっかり夏風から秋風に変わっている。肌身の心地はそれなりに良いけれど、ちょっぴり心寂しさをおぼえている。確かに心寂しさは、秋の季節特有のものである。すると、この先の秋本番に向かって私は、どれほどわが身に堪える心寂しさに遭遇するであろうか。戦々恐々とするばかりである。季節は、夏の終わりから秋へまたぐ残暑の候にある。ところが、きのうは暑さが遠のいて、一日じゅう寒気をおぼえていた。その証しには、家中の網戸はすべて用無しに、窓ガラスに切り替えた。それでも妻は、「パパ。寒いわねー……」と言っては、厚手の毛布にくるまって、ソファに寝そべっていた。きのうの文章の表題は、『ゆく夏を惜しむ』とした。ぴったしカンカン私は、心からゆく夏を惜しんでいた。私の場合、夏が早々と姿を消すのはこりごりである。もうしばらく、夏の暑さを望むのは、へそ曲がりであろうか。確かに私は、生来のへそ曲がりではある。結局、願望した夏痩せはまったく叶わず、季節は「馬肥ゆる秋」へ先走っている。確かに、冠の秋には高尚な「芸術の秋」もある。しかしこれは、もとより私には用無しで、もっぱら「新米、果物、食べ放題」の餓鬼食いの秋である。確かに、暑い夏去って、涼しい秋の訪れは、それなりに楽しめるもの満載である。ただ、ちょっとだけ早すぎる季節変わりである。起き立ての殴りかきであっても文章は、私には手に負えない難物である。いまだ夏スタイルのわが身体を、秋風がブルブルと震わせている。