寒い朝の愚痴こぼし

 十二月七日(月曜日)、遅く起き出して来た(5:32)。そのため、あわてふためいて、走り書きを強いられている。きょうは、早出の歯医者の予約通院日である。こんな予定がある日の私は、平常心を失くしてオチオチとしておれない。明らかなとばっちりは、執筆時間に大慌てをこうむることである。
 文章は心象風景の紡(つむ)ぎである。このため、心象が時間に急かされ揺れていると、端(はな)から文章は書けない。もちろん、能タリンのわが固有の理由である。こんな弁解は飽きあきしているけれど、いつも逃げ口上の常套句(じょうとうく)に用いている。
 遅く起き出して来た理由は、寒さに負けて布団の中で起き出しを渋っていたからである。きのう書いたようにこの時季、ようやく本来の寒さが訪れている。すると、寒気に弱いわが心身は、たちまちカタツムリやミノムシのような状態になる。それでも、予約済みとなれば、身を動かざるを得ない。
 きょうの歯医者の処置には、出来立てほやほやの二つの金属の被せ作業が予定されている。早や、歯医者通いも六週目になる。先回のおりには、「次回には、二万円ほどご用意ください」と、言われている。年の瀬にあっては、身や財布に堪える痛い出費である。一方では、見栄えだけの「おせち料理」に比べれば、はるかに身のためになる出費かな! と、思うところはある。もちろん、これにて歯痛が収まれば万々歳である。
 ところが、二つの被せ金属の処置は、いまだ序の口にすぎないところがある。なぜなら、掛かりはじめにこうも言われている。「このところが済んだら、次にはここのところに入れ歯を作ります。それは、一か月半が過ぎた頃になります」。つまり、大きな処置と大きな出費は、いまだこの先にひかえているのである。余生をかんがみればなんだかやりすぎかな! そして銭失いかな! と、思えるところもある。いやいや、歯の痛みは堪えようもないから、こんなケチなことは言わないようにしようと、戒めてはいる。しかし、承知の助ではあっても言いたくなるのは、一度掛かれば果てしない、歯医者通いへの恨みつらみと言えそうである。
 落ち着かないことを理由に、きょうの文章は早や手じまいである。文章とは言えないから、慰めのつくところはある。寒さも身に堪えている。