十二月十六日(水曜日)、もうどうにもならない、もうどうしようもない、という共に似たような意味の二つの言葉を浮かべて置き出して来た。浮かべた言葉はもちろん、新型コロナウイルスの感染拡大にたいしてである。イギリスやアメリカからは、ワクチン接種開始のニュースが伝えられ始めてはいる。それでも世界中は、いまだに新型コロナウイルスの感染恐怖に晒されている。そのため、これにかかわるニュースは、日々いっこうに絶えることはない。日本の国の舵取りにあっては、菅総理がまさしく陣頭指揮を揮われて、新型コロナウイルスの感染封じ込め策に大わらわである。もちろん、世界中の自国の舵取りを担う為政者(大統領や首相)も甲乙つけがたく、同様に躍起である。それでも、新型コロナウイルスの感染(力)を封じ込めることはいまだなく、これにまつわるニュースが途絶えることはない。
こんなさ中にあって、甲乙つけたいようなニュースが流れて来た。いや、日本の国にからは乙にとどまらず、丙、丁とも言えそうななさけない話題である。それは、一度文章の中に明らかな揶揄(やゆ)として引用した菅総理の「ガースー」という、自称言葉である。親しみと受けを狙ったこの言葉は意に反して、たちまち物議を醸(かも)して非難囂囂(ひなんごうごう)をこうむるさ中にある。確かに、新型コロナウイルス禍にあっては、物議を醸す「時の言葉」と言えそうである。
一方、世界中の国々や人々から、称賛を浴びている「時の言葉」はこれである。
【拳振り上げ感情爆発「メルケル首相」厳戒ロックダウンの成否】(新潮社 フォーサイト2437)。「ドイツのアンゲラ・メルケル首相が12月9日に連邦議会で行った演説は、歴史に残るだろう。普段は冷静沈着なメルケル首相が、珍しく感情を露わにして国民に対しコロナ対策への協力を求めたからだ。普段のポーカーフェースを脱ぎ捨てた、彼女らしからぬ演説は、今日のドイツの事態の異常さを際立たせた。」
日本の国の総理大臣も、できたら「こうありたい」ものである。
長い夜は「冬至」(十二月二十一日)へ向かって、カウントダウンさ中の寒い夜にある。しかし、身に染みる寒さは、気象だけがもたらしていることでもない。国を違(たが)えての「時の言葉」の優劣もまた、わが身にブルブルと、寒さをもたらしている。