七月初日

悪夢は、どうやら悪鬼のしわざらしい。ところが悪鬼は、いくら追っ払っても日を替えて、よりもよってわが就寝中に現れる。これでは、安眠をむさぼれるはずはない。いやそのしわざは、安眠をさまたげるだけにとどまらず、一度目覚めると尾を引いて、二度寝にありつけないという、悪だくみを引っ提げている。鬼は実際にはこの世にいなくて、得体のしれない想像上の化け物(怪物)だと言う。だから人間は、鬼を懲らしめようがない。それゆえ、人間ができるあからさまな鬼退治は、節分の日の「鬼は外、福は内」の掛け声とともに、鬼仮面へ豆礫(まめつぶて)をぶっつける豆まきくらいである。昔話に語られる桃太郎は、鬼ヶ島の鬼退治で名を馳せた勇者である。現代の世では桃太郎のような正義感強い勇者はだれもいなく、悪鬼の為すがままである。とりわけ私は、悪夢をしでかす悪鬼に襲われると為すべなく、ほうほうのていで寝床から逃げ出してくるか能はない。月が替わってきょうは七月一日(金曜日)、ところが月替われど悪夢は遠のかず、私はいつものようにきょうもまた逃げて、寝床から起き出してきた。挙句、夜中、三時過ぎの起き出しである。これによる唯一の幸福は、夏の夜明け模様にたっぷりと浸れることである。だからちょっぴり、「牛にひかれて善光寺参り」の心境にはある。そして、鬼のしわざについて、ふと浮かんだ言葉をわが掲げる生涯学習における現場主義にしたがって、電子辞書を開いた。「鬼の霍乱(かくらん):いつもは極めて壮健な人が病気になることのたとえ」。想像上とはいえ鬼が心中に現れなければ、わが身体は病知らず、精神は安寧をむさぼることができるはずだ。少なくとも、悪夢に妨げられず、安眠をむさぼることができるはずだ。つくづく、残念無念である。わが誕生月、七月の書初めがこんな実のない文章ではなさけない。梅雨が明けるやいなや連日、猛暑が続いている。そのせいか、掲示板に訪れる人の数値(カウント数)は減る傾向にある。この先、七月と八月の二か月にわたり、いっそう暑い日が続くこととなる。そうであれば私は、一重(ひとえ)にいや三重八重(みえやえ)にご常連様のご健勝を願うのみである。きょうはこのことを切に願って、書き止めである。白々と夜が明けたが、壁時計の針はいまだ四時半過ぎである。私は涼しいうちに、庭中の草取りに精出すというより、朝御飯までの暇つぶしをするつもりである。きわめてかたじけなく思う。七月初日、いつもながらの起き立ての殴り書きの文章である。