令和三年「節分」

 寝ていても汗をかき、たまらず起き出して来ても、汗があふれている。現在の私はいまだ寒中にあって、異様に暖かい夜のたたずまいの中に身を置いている(2:32)。だからと言って私は、暖かさを素直に喜んではいない。いやむしろ、大きな不安をおぼえて、冷や汗まみれになっている。それにはとうにこの世にいない、義母のこの言葉がよみがえっているせいである。それは、「関東大震災(大正十二年・一九二三年、九月一日)が起こる前は、異様に暖かかったのよ」、という言葉である。忌まわしい出来事の再来は、御免こうむりたいものである。いや、この暖かさは、飛んでもない自然界の恩寵(おんちょう)なのであろうか。確かに、季節は嘘を吐かない証しではある。
 きょうは、令和三年(二〇二一年)の「節分」(二月二日・火曜日)である。ところが、毎年一定日(二月三日)としてカレンダー上に記されてきた日とは異なり、今年にかぎり一日早く記されている。この理由を知らなければ、面食らうところである。すると、きのう(令和三年・二〇二一年二月一日)付け朝日新聞朝刊、コラム『天声人語』の中で、こう記されていた。「今年の節分はおなじみの三日ではなく、あす二日。一年が三六五日ぴったりではなく六時間ほど長いため、立春の前日である節分もずれる年がある。前回、二日になったのは明治三十年。実に一二四年ぶりのことだ」。
 新型コロナウイルスの感染者数は、きのうあたりからいくらか減少傾向になりつつある。しかし、まだまだオチオチできない。異変なき節分を望むところである。きのうに続いて、ヨロヨロと書いた。もちろん、再始動の文章とはなり得ず、あすの「立春」(二月三日)へ繋がる保証はない。春の訪れのせいならいいけれど、いや、こころもとない駄文を恥じて、汗が噴き出している。妻には、買い置きの「福豆」を私にぶつける気力はない。例年のように逃げ惑うことができないことには、つらくて悲しい思いが満杯である。幸運を願掛けても、ちっとも当てにならない恵方巻は、むなしくおあずけである。