令和三年「立春」

 令和三年「立春」(二月三日・水曜日)。現在のパソコン上のデジタル時刻は、0:45である。パソコンを起ち上げる前には、すでに一日の始動の行為である洗面などは済ましている。だから、起き出して来たのは、日を替えたもっと早い時間である。ところが、二度寝にとんぼ返りをする必要はない。いつもであれば就寝と寝起きの間には、余儀なく頻繁にトイレへ起き出さす習性にある。実際にはつごう五時間ほどの就寝時間にあって、多いときには五度ほどもある。もちろんこんなことでは、熟睡を貪ることなど夢のまた夢である。おのずから自分自身にたいして、とことん腹の立つ就寝作業である。
 ところが、今にかぎれば違った。なぜなら、四時間余の就寝時間にあっても途中、一度さえの目覚めなく、すんなりと目覚めたのである。そのため眠気が一掃されて、目覚めの今の気分は爽快である。私は腕を伸ばして、枕元の携帯電話を手にした。履歴に不在表示がある。不安に駆られて、開いた。幸いにも、孫のあおばからの不在電話の履歴である。わが携帯電話は、電車やバスに乗るとき以外は、マナーモードは用無しである。今では恐ろしい電話へと変じている「ふるさと電話」が、いつなんどき鳴り響くからわからないからである。今や普段のわが携帯電話は、切ない役割を担っている。
 そう言えば私は、夕食の後にあおばへ電話を入れていたのである。そのときの用件は、「節分だから、みんなで豆まきしたの?」という、問いだった。あいにく、録音済みの無機質の女性の声が流れるだけで、肝心のあおばの声は聴かずじまいだった。するとこんどは、あおばがわが声を聴けずだったのである。わが携帯電話の受信や通話の音量は、わが難聴の両耳に備えて、最大音量に設置済みである。そのため、健康な人に聞こえる音は、まるで火事などの異変を伝えるときの半鐘の「早鐘」みたいに、けたたましい音を発することとなる。それを恐れて私は、電車やバスの車中にかぎり、マナーモードの恩恵にすがっている。こんなにも大音であっても私は、あおばからの受信音を聞き逃していたのである。
 このところの私は、確かに心身共に疲労困憊に陥っている。特にきのうは、朝から晩まで疲れと眠気に襲われていた。きのうの私には、配偶者としての一つの役割があった。それは、腰を傷めている妻の歯医者通いの引率(介助)行動である。この行為は、妻が腰を傷める前からのわが役割になっていた。腰を傷める前は、単なる好意の同行で済んでいた。私は、従来の歯医者から新たな歯医者へ替えた。良い歯医者へ出会えたことで、妻にも鞍替えを要請した。そのこともあって私は、妻の初診以来、最初の道案内を兼ねてその後も進んで同行を買って出ている。決まって週一回の外来で、きのうは早や六度目の妻の通院日だったのである。妻はこの先をかんがみれば、完治までにはいまだに折り返し点ぐらいと、言われている。私の場合は、六度目あたりでゴールテープを切っている。ほとほとこの先、妻との同行介助が思いやられるところである。
 私は目覚めて携帯電話の次に、常に枕元に置く電子辞書を手にした。そして、知りすぎている言葉を見出し語にして開いた。
 「豹変」。[易経(革卦)](豹の毛が抜け変わって、その斑紋が鮮やかになることから)君子が過ちを改めると面目を一新すること。また、自分の言動を明らかに一変させること。今は、悪い方へ変わるのをいうことが多い。成句:君子は豹変す。
 きのうの「節分」(二月二日・火曜日)の天気は、一日にして様変わりのポカポカ陽気に恵まれた。節分を境にして、自然界がもたらしたどんでん返しの恩恵だったのである。案の定、だからと言って様変わりにたいし、「豹変」を用いるのは不適当だったのである。このことだけでの「豹変」のおさらいであった。
 次には、「副益」と「副次効果」を見出し語に置いた。ところがどちらも、電子辞書の見出し語にはなかった。「なぜだろう?……」。なぜなら私は、明らかに疲労困憊の副益や副次効果を得て、まったく久しぶりに「熟睡」を貪ることが出来たのである。論より証拠、熟睡に恵まれなければ、こんな戯(たわ)けた文章にありつくことはできなかった。明らかに私は、疲労困憊がもたらした「副益」にありついている。
 いまだに、真夜中の3:01である。なのに、ちっとも眠くない。夜明けまでのこの先、あり余る時間が思いやられるところである。しかし、電子辞書とパソコンがわが暇をつぶしてくれそうである。副益の熟睡に恵まれて、悶々とする二度寝、三度寝を強いる必要はない。そのうえ、まったく寒気を感じない「立春」は、確かな春の訪れである。