蒸し返しになるが、原邑には、年寄たちが孫の子守を兼ね、雑談するために集まる「火焚小屋」と、呼ばれた場所があった。原邑の子供たちは、ここから、世に、デビューし、内田小学校に通うようになった。
火焚小屋の冬場は、蒔きを焚き、年寄たちは、火を囲み雑談に耽り、孫たちは、年上者が、いろいろの遊びを教えながら、面倒をみていた。子供たは、上級生から、原邑の仕来りを教えられた。
若い女性が原邑を通るのを見つけた時は、「良かおなご」と声を掛けて、石を投げろ・・・とか、上級生が片手をあげ「ドゴビン」声をかけたら、一目散に上級生の前に並べ、一番最後に並んだ者は「ビンタ」・・・とか、ヘビを見つけたら、尻尾の先を捕まえて振り回せ・・・とか、数限りなく、教えてもらったが、勉強に関するものは何も教わらなかった。だからなのだろうか。学年一の喧嘩は、いつも、原邑から出たが、学年一勉強は全く・・・