六月十一日(土曜日)、人様との会話のしようはないのに、両耳に集音機を嵌めてパソコンを起ち上げた。これには唯一、望むところがある。ウグイスの朝鳴き声を聞きたいためである。しかし、聞こえてこない。だからと言って、がっかりも恨みもしない。なぜならウグイスとて、ときには朝寝坊もするし、いやしたくもあろう。あるいは「暖簾に腕押し」の如く、なんらの反応や誉め言葉にも遭わずに、ひたすら鳴き続けるばかりでは遣る瀬無い気分に陥り、一休みしたくなるときもあろう。ウグイスとて「生きとし生きるもの」の仲間ゆえに、私とてときにはこんな殊勝な気持ちを持ってもいいはずである。みずからの気分休めのためにウグイスに、鳴き続けることをせがんだり、ねだったりすることは、私自身のお里が知れるところである。私だってかなりの長い間、文章を書き続けている。身の程知らず、いや知っているゆえに、書き疲れは限界なまでに溜まっている。ウグイスとて、すでに三月(みつき)を超えて鳴き続けていれば、鳴き疲れが溜まっているはずである。このことからすれば現在は、互いに「同病相憐れむ」状態をなして、疲れを分かり合えるお友達と言えそうである。だから私は、ウグイスにたいして朝鳴きを強制したくはない。私は山のウグイスにたいし、庭中へ飛んで来る「コジュケイ」に白米をばら撒くようなことは、これまで一度さえしていない。もちろん私は、鳴き声めがけて小石を投げつけたり、むやみに追っ払ったり、など野暮で非人情なこともしていない。けれど、何一つ餌となるものは与えていない。すなわち、私にとってウグイスの鳴き声は、無償の授かりものである。だから私は、ウグイスの鳴き声にたいしは、いくら感謝しても、感謝しすぎるということはない。これとは違って、子どもの頃のわが家の縁の下に飼われていた鶏(にわとり)の鳴き声にはかなりの感情の違いがある。すなわち「早起き鶏(どり)」の「時の声」には、不断の餌付けにたいする返礼だったと、思うところもある。家族は買い餌を与えていたわけではなく、自給自足の手近な餌を与え続けていたにすぎなかった。これに報いるには、日に一度卵を生むくらいでいいはずである。ところが、稀なる客人や、ささやかな宴席があるたびに、バタバタとばたつく一羽の鶏が掴まれ、縁の下から引っ張り出されていた。その鶏は、父に首を絞められなお出刃包丁で刻まれ、毛を毟られなお焼かれ、しまいには丸裸にされて、まな板に乗せられていた。挙句、母の手さばきでその図体(ずうたい)は、鶏めしや、鶏じゅるになりかわり食卓にのぼり、賑わう大盤振る舞いの宴(うたげ)に供されていた。今、当時を振り返れば鶏は、度が過ぎた惨たらしい返礼を強いられていたと、言えそうである。「早起き鶏」が鳴くと父は、そそくさと起き出して、止まっていた柱時計のネジを「ギイー、ギイー」と、回していた。鶏のお礼返しは、古ぼけた時計代わりか、さらには生みたての卵くらいで十分であった。人間の欲ボケの浅ましさは、父母をはじめ家族みんな同罪である。雨降りはないものの梅雨季の朝、ウグイスはいまだに、山の塒(ねぐら)にこんこんと眠っている。たぶん、鳴き疲れているせいもあろう。あるいは、朝日の輝きを待っているのかもしれない。きょうまた懲りずに書き殴り、投稿ボタンを「押すか、止めるか」。このところ気迷い気分の夜明けが続いている。私も、ウグイスも、共に疲れている。鶏には、懺悔あるのみである。