結婚記念日

 令和三年(二〇二一年)二月十一日(木曜日)、日本の国は「建国記念日」(休祭日)である。例年であれば祝典や、今なお設定の意義に反対を唱える人たちの集会の模様が伝えられてくるところである。ところが今年は、それらの模様はメディアや国全体から鳴りを潜めている。それは下種の勘繰りをするまでもなく、人の集まりを自粛や自制をせざるを得ない、新型コロナウイルス感染防止対策のゆえであろう。
 新型コロナウイルスに関して言えば、このところは確かに東京都をはじめとして、全国的にも感染者数は漸減傾向にある。しかしながら一方、にわかに各都道府県にわたり、初めとは異なる変異株が広がり始めている。このことでは日本国民は、「泣き面に蜂」とも言える新たな脅威に晒されている。このためきょうは、日本の国にあっては祝典どころか、個人レベルの外出行動、はたまた仲間を誘い合っての会食さえ自粛せざるを得ない異常事態にある。
 さて、わが夫婦にとってきょうは、「結婚記念日」である。今やはるかに遠い華燭の典は、昭和四十三年(一九六八年)二月二十一日。神前式場は、当時の「私学会館」(現在アルカディア市ヶ谷、東京都千代田区九段北)である。新郎二十七歳、新婦二十四歳。文字どおりの「華の宴(うたげ)」であった。金婚式はとうに過ぎて、今さら何度目の記念日と数えることもない。ただただ、たがいに当時は「若かったなあー」、と思うだけである。
 きょうのわが役割は、妻の予約「髪カット」への出向きにたいする、介添え役同行である。夫婦の証しと言えば、これほどぴったしカンカンの証しはない。お決まりの居酒屋「きじま」(鎌倉市大船)の祝膳は、妻の腰の損傷のため、ヨタヨタヨロヨロと素通りとなろう。このところの私は、妻の歯医者通いの同行も繰り返している。しかし、「あすはわが身」と思い気を張って、同行役に勤しんでいる。
 相思相愛の「成(な)れの果て」は、だれにも訪れるさだめである。嘆くことはない、近所近辺で夫婦生活を営む人は、もはや稀である。幸運きわまりない結婚記念日である。
○現代文藝社の掲示板より
 おめでとうございます! 投稿者:ふうたろう 投稿日:2021年 2月11日(木)08時05分55秒
 そうか? あの水車小屋の息子が、内田村を出て、東京に行ったのは、遂、この間のような気がしていたが! そうか? もう、あれから、60年も経ち、金婚式も過ぎて、益々、深みを増す夫婦になっていたのだな! 居酒屋「きじま」なんか気にする事なく、「髪カット」にも、歯医者通いにも、同行しよう。これが、年輪を重ねた夫婦のあるべき姿なのだ。