嗚呼、無常、そして無情「トラキチ」

 四月二十二日(金曜日)、またもや雨上がりの夜明けである。道路は濡れている。そのせいで、一つのわが日課は、用無しである。ありがたいことではあるけれど、気分は憂鬱状態にある。いくら「ひぐらしの記」とは言え、こんなことばかりを書き続けているようでは、誇らしくも、甲斐もない。いや、恥じ入るばかりである。
 わがファンとする阪神タイガースは、テレビ観戦のたびに、負け続けている。いまや、勝敗数に関心はない。いくらか、いや大いに関心があるのは勝ち数ではなく、この先どのくらいの負け数を重ねるかだけである。確かに、現在の私は、この先のタイガースの負け数に関心がある。こうまでなるともはや、タイガースの戦いぶりは、ドサまわりの大根役者の演ずる田舎芝居の観覧の如くに、大笑いするところたびたびである。そして、苦笑まじりに、愉快な気分にもなる。幸いなるかな! 負け続けていても、負け惜しみを超越して、気分は鬱になることなく、大らかいや朗らかにさえある。だから、タイガース戦のテレビ観戦は、この先も厭きずに続けること請け合いである。なぜなら、「トラキチ」の称号を、みずから捨てることはできない。また、勝敗の決着にドキドキすることから、いまや免れている。
 今朝の寝起きの約十分間の殴り書きは、これだけで十分である。夜明けの空には朝日が射してはじめて、青、白、グレイなどに色彩を帯び始めている。おやおや、自然界の恵みのおかげで、寝起きの憂鬱状態は去っている。人間界の営みは欲得まみれである。タイガースの勝敗に、一喜一憂するのは大損である。残り少ない余生は、穏やかに、和んだ気分で、暮らしたいものである。