朝飯前

 四月二十日(水曜日)、またしても小雨まじりの小嵐の夜明けである。夜が明けるのは太陽の恵みである。とりわけ、朝日が輝いて明けるのは、一等賞の恵みである。この点、きょうの夜明けには、一等賞はお預けである。だからと言って、ビリの夜明けと、蔑(さげす)みたくはない。なぜなら、明けてくれたことで十分である。
 起き立にこんなことを書いている私は、傍(人様)から見れば、私が気狂いしていると、思われるかもしれない。しかしながら私自身には、露ほども自覚症状はない。案外、これこそ、気狂いの証しなのかもしれない。知らぬが仏である。実際のところはネタ不足を補うだけに、書き殴っているにすぎない。だから、文章とは言えない。確かに、私は馬鹿じゃなかろか! 恥をさらして、恥を忍んでいる。
 「朝飯前」とは、容易なことの表現である。こんな幼稚な文章は、朝飯前とも言えず、単なるいたずら書きである。実際には、朝御飯の支度に急かされて書いた、本当の朝飯前の文章である。書くに堪えない、輪をかけて読むに堪えない、明らかに恥さらしの文章である。
 夜明けのいつものウグイスの鳴き声に変わりきょうは、階下から妻の苛立ち声が遠吠えている。だから、これでおしまい。幸いなるかな! 私に気狂いの自覚症状はない。