日本自分史普及協会のホームページで推薦の本
本書の著者は平成七年に、三十三年間の公務員生活に区切りをつけ、自ら遊び人と称して、退職後の生活を楽しんでいる。平成八年に随筆集「蔓茘枝」を出版し、本書が二冊目の出版である。
本書は三章からなっており、第一章は「遠い日」と題して著者の小中学校時代の思い出が書かれている。いずれの作品も著者の幼い日が生き生きとよみがえってくる。誰にでもひとつやふたつは著者と同じような体験があったのではないだろうか。それだけに読む者の心のひだに染み入る遠い日々となっている。
第二章は、表題になった「時を歩く」である。著者があとがきに書いているが、雑草庵のぐうたら生活は無規律、非生産的な消費型の暮らしで、著者が飽きることなくあきれるほど性に合っているという日常生活の中から生まれた作品である。ゆったりとした時の流れに浸って暮らす著者ならではの人生観が随所に滲み出ていて、読者は著者とともに暮らしているような錯覚に捕われたりする。
第二章に「ちょいと一服」という作品がある。四月の肌寒いある夜、著者はこたつに入って読書に耽っている。九時から教育テレビでショパンのピアノ協奏曲第一番を演るのでそれを待っている数分間、時計を気にしながらも読みかけの本が気になる。「鬼平犯科帳」である。図書館に勤務していたころに「鬼平犯科帳」は人気があり失せ頭であったとか、テレビドラマ化された鬼平役の俳優へと話題がいき、蕎麦掻きの話が出てくると子どものころに感じた苦味が旨みに変っておいしく感じるようになったとか、時計を見ながらだった読書に何時の間にか夢中になって九時が過ぎてしまっている。読者は、著者とともにこたつに入って時を共有しているような気持ちになるのである。
「蕎麦掻き食べたくなったね」
「鬼平役の中村吉右衛門が一番いいよね」
「図書館に勤めていたころ、この本は人気があってね。二十四巻を三組購入したことがあったのよ」
そんな会話が弾むことになるのだろうか。
第三章は「旅随筆」で、旅行好きの著者が旅先で出合った出来事や人々のことが語られている。誰にでも気軽に声をかけ、何事にも興味を持たずにはいられない。そうした好奇心の塊のような著者と、楽しい旅をしているような気分にさせられる作品である。
親殺し、子殺し、夫妻殺し、右を見ても左を見ても殺伐とした現代に生きていて、どうかすると、何もかも疑ってみないと酷い目に遇いそうで、のん気に構えては居れない。
本書を読み終えて、ふと私たちが忘れてしまっている、失いかけている人間らしい心に出逢った気持ちになった。
本書は自費出版フェアでも人気の本である。(自費出版ジャーナル第47号)