風を聴く

多田美津子著

 家の近くの石神井公園にこぶしの花が咲きはじめる頃になると、著者は故郷の金毘羅さまの玉蘭を思い出す。玉蘭は白木蓮の漢名である。女学校卒業後、近所の学友と共に当時金毘羅さまの神職の奥さんに裁縫、茶道、華道を習いに通った日々が甦って来る。折々の何気ない事柄に思いは故郷香川で過ごした頃のことが、胸をよぎる。野良仕事で忙しい父母にかわって幼い著者は安政四年生まれの祖父の語ってくれる昔話や体験談を聞いて大きくなる。
 練馬区の婦人学級の文化講座に参加して、そこから発展した自主グループ生活記録を書く「野道」に所属、その後文章教室「夕映え」の会員として活動を続けている。
 故郷をあとにして、三十年近くも経ったある日、故郷香川県の実家に北海道開拓移住者の二世と称する男性が自分たちのルーツを求めて尋ねてきた。そして、著者もそのルーツ探しに関わることとなった「青銅の神馬」をはじめ、戦地ルソンで亡くなった従兄のことを書いた「ルソンに果つ」など、とくに戦争時代のことは痛ましい。
 ──あの時、あの戦争は「おおみいくさ」とも「聖戦」とも呼ばれ、当時の日本の、殊に農村の女たちは、わたしも含めて、戦争反対の声をあげることなど、思いもつかなかった。たとえ、心の底で思ったとしても、それを口にしようものなら非国民とののしられて、周囲から爪はじきを受けることが目に見えていた。─省略─一人の戦死者が出るたびに、それに連なる幾たりの人が歎き悲しんだことか。戦争に消えていったあのひと、このひと、あの戦争のかげにどれ程の涙が流され続けてきたことか……。(ルソンに果つより)