あてずっぽうの「人生考」

 いまさら言わずもがなのことだけれど、人生と人命は絶えず、「生・老・病・死」という、四苦に脅かされている。さらにこれらに、「愛別離苦」、「怨憎会苦」、「求不得苦」、「五陰盛苦」という四つを加えて、「四苦八苦」の苦しみがあるという。これは、お釈迦様のこの世に存在する「衆生」にたいする、儚い教えと言えそうである。言うなればあの世、西方浄土・極楽浄土へ導くための、お釈迦様の自己都合の脅かし(説教)とも言えそうである。いやいや、私はへそ曲がりになってはいけない、確かに真髄をついている教えであろう。
 顧みて現在の人間界は、新型コロナウイルスの蔓延、その世情に突然加わった「ロシアのウクライナへの侵攻」、地震をはじめとする天変地異、さらには日々途絶えることのない事件や事故など、あらゆる災難の渦中にある。すなわち、現実の人間界は、「四苦八苦」くらいでは済まされなく、もはやお釈迦様の出る幕などないほどに、「多苦多難」の日常生活にさらされている。人生、すなわち人間の生存期間(生涯)の苦悩は、つまるところ文字や言葉による表現の埒外にあると、言えそうである。
 きょう(三月十五日・火曜日)もまた、わが柄でもないことを書いてしまった。混沌状態は、最も身近なところでわが心中にある。人生には、生きる楽しみがあるはずである。だとしたら一生かかってでも、それを探し出すことこそ、案外、人生なのかもしれない。お釈迦様は、「この世、とても楽しいですね!」とは、言ってくれない。なぜなら、言えば、わが身が滅ぶからである。私は中身に蓋をして、継続だけが取り柄の文章を書き続けている。いっこうに楽しみになり切れないのは、わが凡愚のせいであろう。
 この世すなわち人生って、のほほんと生きていれば、楽しいのかもしれない。お釈迦様が四苦八苦などと言って、脅すから楽しくないのだ。お釈迦様に比べれば神様は、賽銭だけを欲しがるだけで、人の幸不幸は「御神籤(おみくじ)」まかせである。案外、それでいいのかもしれない。お釈迦様の説教(教えという脅し)は、わが身の堪えて懲り懲りだ! 春の夜明けは、雨模様である。