三月十三日(日曜日)、このところの体感温度と気温は、すっかり寒気を遠のけている。独りよがりにほくそ笑んでいたらそれもそのはず、間近に「春分の日」(三月二十一日・月曜日、休祭日)が訪れる。つれて、あんなに待ち遠しく思えていた春は、早や仲春へと差しかかる。わが余生をかんがみれば、本格的な春の訪れへの喜悦を超えて、歳月のめぐりの速さ(感)に唖然とするばかりである。
春分の日を含む七日間は、「春彼岸」と言われる。一方、同一線上にある「秋分の日」(九月二十三日、休祭日)を挟む七日間は、「秋彼岸」と呼称される。子ども騙しにもならない、当たり前のことを書いた。輪をかけて、もっと当たり前のことを書けば、双方の彼岸にあっては古来、「暑さ寒さも彼岸まで」という、成句が存在する。生涯学習の復習を兼ねれば、「人口に膾炙している」と、言い換えてみよう。そしてそれは、一年を半年ごとに区切る、季節の屈折点を成している。
確かに、季節のめぐりあるいは季節感は、双方の彼岸を境にして、暑気と寒気を遠のけてゆく。気候のうえでしのぎ易く、ほっと胸を撫で下す、季節の到達点でもある。時あたかも、春彼岸にあっては、北上を続ける桜だよりがチラホラと世の中を潤しはじめる。一方、秋彼岸にあってはズバリ、彼岸花が田園を赤く染めて、しばし人心を潤してくれる。どちらも、とくと人情を高める季節の花々である。
きょうは、いつもより早い時間に起き出してきた。そのため、たっぷりの執筆時間を得て、心の余裕にありつけている。ところがどっこい、文章のネタは、早や手まわしに春分の日にかこつける、体たらくぶりである。いつも同様の書き殴りだから仕方ないけれど、それでも浅ましさすぎると、自憤するなさけなさである。錆びついたわが脳髄の仕打ちが、恨めしくわが身に沁みる。金輪際、もう文章は書かないほうがいいのかもしれない。書けば、わが無能力をさらけ出すこととなる。いまさら、恥を忍ぶこともないけれど、自分自身、ちっとも面白くない。案外、掲げている生涯学習の祟りなのかもしれない。きょうまたわが心は、春の夜明けののどかさに癒されている。これこそ、無償でたまわる極上の天恵である。