寝起きの述懐

 もとより文章は、私には手に負えない難物であり、もちろんその作業は、とことん難儀である。それなのに私は、寝起きにあっての脳髄の駆動未だしの中で、なおさらには朝御飯支度前の限られた短い時間にあって、せっつかれた気分で書いている。おのずから殴り書きと走り書きという、悪文の見本を成す体たらくの状態で書いている。
 「ひぐらしの記」を書き始める前の私は、昼日中にあっていくらかのネタをめぐらし、たっぷりとある時間の中で書いていた。だからと言って、文章の出来不出来にはそう変わらないところはある。そうではあっても現在の私は、当時の遣り方に戻りたい心境にある。ところが今やそれは、夢まぼろしである。いや、どうしゃちほこだっても、一向に叶わぬが空念仏へなり下がっている。こんな短い文章さえにも、苦心惨憺を強いられている。結局、弁解の余地ない、わが無能力の証しである。
 寝起きにあってきょう(三月十日・木曜日)もまた、とっくに夜が明けている。またもや、階下へ向かって、二段跳びいや三段跳びの訓練が強いられる。足を滑らしては、元も子もない。挙句には痛々しい妻に代わられて、私自身が介助をされる憂き目を見そうである。
 春はあけぼの、春はおぼろ、春は朝ぼらけ、窓ガラスを通して、春霞がのどかにたゆたっている。