自然界の恵みを享(う)けて、暖かい春が来ている。ところが、人類の住む世界には、まったく気分を緩めようのない閉塞感が渦巻いている。大きく出たけれど、もちろんわが個人の閉塞感もまた、身に沁みて果てしない。このところの人間界は、新型コロナウイルスとの闘いは別として、やることなすことのすべてが、自壊現象を呈している。
もとより人間の知恵は、「生きとし生きるもの」の中にあって、最も優れて称賛すべきもののはずである。ところが、現下の世界事情を見るかぎり、人間の知恵は浅ましさばかりを露呈している。なんたる! 無様だ。大国の驕り、独裁者の高慢、横行闊歩の状態にある。
科学に疎い私と妻の茶の間における、のどかにひなたぼっこ中の会話の一つである。
「パパ、だれが核を発見したの? その人、ノーベル賞をもらったの?」
「俺は知らないよ。馬鹿な人だね!」
人類に有意義をもたらす新発見は、使い方、使う人によって、みずからを滅ぼす矛(ほこ)となるだけで、盾(たて)にはなりにくい。このところの私は、日々、この矛盾(むじゅん)をまざまざと見せられている。
きょう(三月八日・火曜日)の表題は、雨模様の夜明けの空を眺めながら、「嗚呼、無情」と、決めた。「無常」でないのは、人類があまりにも情け無いから、文字どおり「ズバリ、無情」としただけである。