三月五日(土曜日)、きのうに続いてまったく面白味のない文章を書き始めている。実際のところは、わが失念を恥じ入る文章にすぎない。きのうの文章にあって私は、心中に浮かぶままに「土地」にかかわる言葉を羅列した。このことの本意は、人間社会の生活基盤における土地の大切さと、一方、土地にからむ争いの醜さを浮かべてのことだった。現下の世界事情にあっては、かつて教科書で学んだ独裁者政治の再現をリアルタイムに見せつけられている。
実際にはロシアの「ウクライナ侵攻」がメディア、主にテレビニュースを通して伝えられてくる。いやおうなく私は、その残酷さを食い入るように観る羽目となっている。すなわち、私は人間なかんずく独裁者政治の浅ましさと惨たらしさを見せつけられている。するとその感慨は、人間とはこれほどまでに愚か者なのか! の一語に尽きる。
天変地異の織り成す惨たらしさは文字どおり恐ろしく、そのたびに恐懼するばかりである。そして、わが人生行路においてもこれまで多く体験し、さらにはメディアを通して災難を飽きるほど見聞してきた。確かに、天変地異には恐ろしさに加えて、無抵抗の虚しさと諦めが同居していた。これと違って人間の為す独裁者政治には、浅ましさと諦めきれない虚しさが同居し、?がしようなくこびり付いている。これこそ、両者の大きな違いである。
さて、きのうの文章にあって私は、肝心要のこの言葉を失念し、外してしまった。「後悔は先に立たず」。みずからを詰り、恥じ入るばかりである。その言葉は「領土」である。それは、土地にかかわる言葉としてはイロハの「イの一番」とも思えるものである。だから、わが罪滅ぼしに、手元の電子辞書を開いた。
【領土】「①領有する土地。②一国の主権を行使し得る地域。一国の統治権の及ぶ範囲。広義には領海・領空を含む。」ロシアは主権を行使、かつ統治権を失いたくないための戦いなのであろうか。ロシアに主権が有るや無しや、戦う是非が有るや無しや、もちろん私にはまったくわからない。ただただ、独裁者の意固地の面相を大写しで観ているだけである。独裁者が独りよがりに強面(こわもて)に演じるバラエティーまがいの悲劇は、見飽きてもう観たくない。「領土」という言葉、いやそれ自体には、人間のエゴイズムの醸す、切ない響きがある。
ようよう結文にたどり着いたけれど、私自身、ちっとも面白味のない文章である。春の日は、のどかな夜明けをもたらしている。