「ひな祭り」(桃の節句)

 三月三日(木曜日)、私のみならず人心に潤いを恵む、「ひな祭り」(桃の節句)の夜明けが訪れている。春三月にあって幸先の良い、日本社会の二十四節気の一つでもある。確かに、寝起きのわが身体からは、寒気が一切遠のいている。私はこんな状態をどれほど長く、待ち焦がれてきたものか。寒気が去って、この上ない喜悦の心境にある。
 こんな様変わりの恩恵にあっては、文章が最も書き易い季節の到来でもある。ところが実際のところは、心象を「意馬心猿」にかき乱されて、文章が書けない。心中に出没する両者の実像は、馬にたとえれば「新型コロナウイルス」であり、猿にとえれば「ウクライナ紛争」と、言えそうである。そしてどちらも、攪乱とまでは言えないまでも、わが心象をかなり困惑に陥れている。困惑度の予感は、限りあるわが大切な余生を汚し、台無しにしそうな恐れである。自力ではまったく抵抗できない事変にたいし、心中を乱された挙句、こんな弁解をつぶやく羽目になるのは、まさしくわが愚の骨頂の極みである。確かにそのことは、とくと自認するところである。しかしながらテレビに向かってリモコンすれば、私はいやおうなく双方の報道の渦の中に放り込まれている。すると、朴念仁では済まされず、おのずからわが心中は塞ぎ込むばかりである。命の儚さは、観るに耐えがたく、聞くに忍びないものがある。
 馬鹿じゃなかろうか! さて、私はささやかな抵抗として、買い置きの「雛あられ」を間髪容れずに口中に運んで、憂さ晴らしと心の癒しの試しをするつもりでいる。書かずもがなの、ネタ切れの駄文を書いてしまった。つまりは「意馬心猿」にかき乱されて、なさけないつぶやきの文章仕立てである。