秋の候
お見舞い
土曜から火曜まで古河の実家に滞在しており、今回の台風は、日曜の夜中に雨風が強かったようですが、夫や妹は風の音で目覚めたとのことだったけれど、私は気付かず眠っていた。
翌日は台風一過とはならず、蒸し暑い一日だった。枯れ枝や葉っぱが散らばっていたが、キャベツと白菜の苗を買っていたので、そちらを植える仕事を先に済ませた。
道路の方は着いてすぐに掃除を済ませたけれど、さすがに台風の後の散らかり様はそのまま放って帰宅する気にはなれず、掃除を済ませてから帰ることにした。
朝から日差しが強く、滝のごとく汗を流しながらどうにか掃き掃除を済ませた。掃き終わっても黄色く色づいた葉っぱがチラホラ落ちてくる。もうすぐ落ち葉の季節がやってくることを予告しているようだ。
夏の候
次の世代に繋ぐ命
古河の実家(望月窯)の滞在は、三泊四日に定着しつつある。今回は八月二十三日に訪れた。今はその全ての時間を敷地中に生い茂った夏草をむしることに終始している。朝の起床はほぼ六時頃である。食事を済ませ九時前には準備を終えて草むしりにかかる。十時には一休み、昼食前にまた外に出る。そして、昼食を済ませて三時頃まで再び作業をして、おやつタイム、五時頃には一日の作業は終わりにする。
そんな日課を過ごしている中で、自然とともにあることをいつも実感することができる。今回は、ギンヤンマの交尾に出会った。雨に濡れた駐車場のコンクリートの敷地の上を交尾中の雌と雄が低空で勢いよく飛び回っているのを見つけた。その場所は毎年、オニヤンマかギンヤンマかわからないがやってきていた。今年は始めてつながって飛んでいるのを見た。やがてコンクリートの上に出来たわずかな水たまりを見つけては雌が産卵を始めた。
見つけたときは、カメラが手元になかった。慌てて取りに行き、戻ってみるとまだ産卵は続いていた。飛んでる被写体をカメラを覗いて追いかけ、ピントを合わせて撮るのは難しい。レンズの中に被写体がなかなか入ってこない。何度も何度も追いかけながら、止まるのを待ち構えてレンズの中に入ると、胸が高鳴り、手元が震える。息を止めて、繰り返しシャッターを切る。
ずっと昔、出かけた先でトンボの交尾に出会ったことがあった。そのときのことを短編小説にして、同人雑誌に発表した。それを思い出し、雑誌を見つけて転載を試みることにした。
「おんなの微笑」
女は男を待っていた。約束の時間はもうとおに過ぎているのに男は来ない。
男と女はどこへ行くのもほとんど一緒であり、女はどこへでも男について行きたがった。そして、女は男が用事を済ませるまで、何時までも待っている。男はそれを少しも苦にせず、できる限り女をつれて歩く。
女は若い、男とは年が一回りも離れている。それでいて、他人の目には、この二人は似合いの夫婦に見える。
見知らない土地で何をすることも思い当たらない。女はぼんやりと空地にある栗の木の下に立って、
「こんなに長い退屈な時間を、なぜ耐えて待つことができるのかしら」
と、自分自身に問いかけてみる。
女の目前に蓑虫が一本の細い糸をたらして下りて来た。女はしばらく黙ってそれを見ていたが、急に近くの草を一本引きちぎると、蓑虫の巣の中へ差し込んだ。糸は切れずに草を差したままゆらゆらと揺れた。女はもう一本差し込んだ。糸はまだ切れない。さらにもう一本差し込むと、巣は傾いて、哀れっぽく揺れた。巣の尻尾の方から黒い物が出てきた。女はそっと巣をささえている糸を持つと、自分が差し込んだ草を一本二本と丁寧に取り出した。巣はもとのとおりに真っ直ぐになって、何事もなかったようにゆっくりと揺れた。女は歩き出した。途中で一度、蓑虫の方を振り返ると微笑みを浮かべた。
それから、女はゆっくりと大きな水たまりに近づいた。麦わらトンボの産卵が始まっていた。いつ乾上がってしまうかわからないたよりない水たまりに、トンボは苦しい産卵を開始している。女は立ち止まって見つめた。産卵中の雌に勢いよく飛んできた雄が結合し、しばらくして雄は離れた。雌は再び産卵を始めた。雄のトンボは産卵している雌の上をあわただしく飛び回っている。そこへ別の雌が現れた。雄はすばやく雌に近づき結合する。その雌も産卵を始める。初めの雌の産卵はまだ続いて、雄は二匹の雌の上を飛び回る。女は雄がなぜ忙しく雌の上を飛び回っているのか知りたいと思う。しかし、知る術はない。やがて、初めの雌は産卵を終え、勢いよく空へ舞い上がった。女は名残り惜しそうに雌の行方を追う。雌は高く高く空の色に溶け込んでしまった。そして、すぐにもう一匹の雌も同じように空の彼方に消えていってしまった。雄は相変わらず水たまりの上を飛び回っていたが、疲れてしまったのか近くの石の上に羽を休めて静かになった。
女は思う。水たまりの卵はどうなるのか、もし卵がかえったとしても、彼らには父も母もいない。彼らの生命は卵の時から自然の力にゆだねられている。彼らの父も母も自分達の子供の生命を自然にたくして死んでゆく。自然は数限りない生命の親である。女は二匹の雌のトンボが溶け込んでしまった空の彼方を仰ぐ。
男はまだ姿を見せない。それでも女は自分が男を待っていることに、ほのぼのとした暖かさを感じる。自分が待っていることを男は知っている。自分がどんな風にして待っているか、男はちゃんと知っているのではないだろうかと女は思う。女は再び微笑みを浮かべて空地に無造作に転がっている土管の上に腰かけ、男と自分のことについて考える。さきほどの雌と雄のトンボのことを思い出してみる。すると心のどこかが急に熱くなり、女は男の腕の中を思い出す。
結婚して、子供を産んで、育ててみたい。自分も母親になってみたい。そんな漠然とした意識が男のイメージと重なる時、女は体中が燃えるように熱くなり、胸がいっぱいになる。そして、それをすぐに打ち消そうとする。考えるだけなら、いつでも打ち消してしまえる。ロマンティックな感傷や月並みなあこがれなら、いつだって胸に描いてみることができる。子供を産んでしまったら、母親として生きてしまったら、それは現実であり、もう取り消しはきかない。無責任なあこがれや感傷では母親にはなれない。
女はいまだに一人である。男に従って、自由きままに生きている。男との不安定な関係に満足しているわけではない。しかし、決められた家庭の中で自然の摂理に従って、生きてゆくことにはもっと不安がある。
女は微笑む。女の微笑の彼方に男の笑顔があった。女は走る。この瞬間、女はいつもそうである。微かな笑い声をたてて、女は男の笑顔に突進してゆくのだ。 了
初夏の候
今回の古河の実家へは一週遅れて六月二十日(木)から二十三日(日)の三泊四日となった。
何時も到着するまで「何事もなく無事かどうか」ヒヤヒヤする。前回きれいに草を抜いた場所も跡形もなく雑草が茂っている。この時期は仕方が無い。それでも草取りがしていないところは、草丈ももっとひどく伸びて、手が付けられないようになっている。
大きなポリの入れ物に睡蓮を入れて、金魚を飼っている。前回その中を掃除して水を入れ替えていると、ヤゴを発見した。今回縁に弱々しいトンボが止まっていた。どうやら羽化を終えたばかりのようだ。カメラに納めたけれど、あまりよく撮れていなかった。まるで私たちの来訪を待っていたかのようなタイミングだった。
到着すると、昼食を済ませ、「今日の目標」の打ち合わせを妹とする。到着して真っ先に畑に出る。枝豆が食べ頃になっていた。すぐ隣の二本のナス苗は生長し、大きな実がそれぞれに一個ずつできていた。その馬鹿でかい大きさに思わず私と妹は顔を見合わせて、笑い転げてしまった。その見事な大きさを写真に収めようとしたけれど、カメラを構えると笑いが止まらなくなってしまう。その見事さはどうしても写真に写せなかった。出来上がった画像に迫力が無い。
さっそく薄切りにしてオリーブオイルで炒め、味噌で和えた。大きいわりには種がなく、まずまずの味だった。次の日には、お昼のカレーに合わせて、塩もみにした。こちらは皮が少し硬くて水分が少なかったが付け合わせには良かった。
キュウリも大きくなっていた。そのわりには種がなく、私と妹は種がある方が好きなので、ちょっと残念だった。
楽しみに期待をしていたブドウは房丈は一人前だが、実が点々とついて、トウモロコシのうらなりのようだ。それでも二年前の姿形がなくなってしまうよりいいかも、などと頷き合った。
落花生が黄色い花を付け始めていた。何物かにいつも食い荒らされてしまうので、今年はしっかり虫除けの網を張ったけれど当てになるかどうか。
カボチャやスイカも花が咲き始めていた。ニンジンが手頃な大きさに育っていて、全て抜いて収穫してしまった。ずっと失敗続きだっただけに感激ひとしおだった。
ブルーベリー、ブラックベリーの実は順調に育っている。とにかく、畑の見回りは楽しく、充実した気分になる。私流の畑だけれど、それなりに考えながら作っていくやり方だから、無駄が多いかも知れないけれど、一喜一憂の贅沢な過ごし方だと思っている。
滞在中はずっと草取りになるが、合間に畑の手入れや実のなる樹木の手入れ、庭の手入れなどもある。
翌日は朝早く出発するので、前日の一日は貴重であるが、あいにくの雨模様で、降ったりやんだりと気がもめた。突然、激しく降ったかと思うと、晴れ間が現れたりする。もう諦めようと家に入ると、思わせぶり灰色の雲が去り、空が明るくなる。当然雨も止む。ソレッとばかり支度をして出て行くと、しばらくしてポツリポツリと雨粒が落ちてくる。忍耐強く手を動かしていると、激しく降り出す。
未練を残して三時前に引き上げた。
早くもスズメバチの季節
六月一日(土)から四日(火)の午前中まで古河の実家に滞在した。前回の五月二十五日(土)から二十八日(火)に滞在した時に、妹が屋外のトイレに蜂が入ったと慌てている。
まだスズメバチの時期ではないだろうと思い、「大きかった?」と私が聞くと、「スズメバチだと思う」と言うので、トイレの中を見回したが、それらしき蜂は見当たらなかった。
そして、今回の二日目に事件が起こった。私が朝、外のトイレの入り口のタイルが丸く油がしみこんだような跡があるのに気付いた。ふと頭上を見上げると、何と直径十五センチほどのスズメバチの巣が出来ている。
辺りにスズメバチが飛んでいる様子はなく、まだ出来て間がないようだ。見ていると、一匹の蜂が穴から出てきた。それと同時に別の蜂が巣に向かって飛んできた。私は慌てて側から離れた。私たちは何も気付かずにトイレのドアの開閉をしていたのだ。気付いてみればぞっと寒気がした。
巣はまだ小さいし、蜂も数匹しか居ないようなので、すぐにスズメバチ退治のスプレーを取ってきて、蜂の巣の穴めがけて吹きかけた。巣から出てきたのは一匹だった。二メートルぐらいある枝切りばさみの先で巣を突っつくと簡単に穴が開いた。さらにスプレーを噴霧すると私はその場を逃げた。しばらくして恐る恐る近寄ってみると、蜂が出てくる気配はないので巣をたたき落とした。巣の天井の方に白い卵がぎっしり付いていた。巣のくっついていたところにさらにスプレーをかけて枝切りばさみの先でこすり取った。以前、巣を駆除してくれた業者が、巣の跡を削り取っておかないとまた蜂がやってくるというのを思い出したからだ。
巣を取り除いた後に数匹の蜂が戻ってきていたが、やがてどこかへ行ってしまった。巣を焼いたら香ばしい匂いがした。蜂の子を食べる風習があるという。なかなかの美味だそうである。
夫と妹と私の三人連れで古河の実家に五月十一日(土)から五月十四日まで滞在した。
今回はグリーンピース、絹さや、キャベツ、サニーレタスの収穫があった。グリーンピースの豆御飯を作った。まだ育っている豆が少なかったが、とにかくやってみようということになって、できるだけ太ったサヤを取った。
グリーンピースを作ったのは初めてだったので、恐る恐るだったが、どうにか豆御飯らしいものが炊けて、もちもちとした食感と甘みがあっておいしく、次回も楽しみだ。
絹さやはザルに溢れるほど収穫してもまだ取り切れず残っている。
冬越ししたキャベツは育ちが悪かったが、ロールキャベツを作ることを思い立ち、鶏の胸肉で作ってみたら、柔らかくて美味だった。
毎年種を蒔いても出来なかったにんじんが、寒さを耐え忍んで春になったらたくさんの葉を茂らせた。間引きをしたら、小指ぐらいの実が育っていた。それを茹でてみたら甘くてとにかくおいしい。生でもポリポリと食べられる。妹は癖になりそうだと言いながらつまみ食いをしていた。
間引いたにんじんの葉は、柔らかくて卵炒めにしたり、他の野菜と炒めたり、さっと茹でて冷凍にして保存した。
朴の木の若葉が美しい。真っ白な大きな花がたくさん咲いて、草取りをしているとどこからともなく香ってくる。五目寿司の御飯を朴の葉に包んでおいて、お昼に食べた。
いろいろな食材が採れて、草取りの合間に料理をして楽しむことが出来た。
絹さや、グリーンピース | ||
アヤメがあちこちに咲き始めて、鮮やかな青い色が目を楽しませてくれる。 豊後の梅の木に今年は実がたくさんついた。梅干しを作ろうと妹と二人で眺めていた。 太陽(スモモ)も実を付けている。見上げて成っている実を探すのも楽しい。 | ||
毎年期待しながら実が付かなかった禅寺丸柿の実がやっと二個ついた。何度見上げても二個しか見つからないが、落ちずに実ることを祈っている。 |
春の候
天候不順
今年の初めに末の妹が転んで腕を骨折し、手術の後のリハビリ通いで、古河の実家へ一緒に行けなかったが、週三回通っている整形外科が十連休の影響で休みとなったため、三泊四日(四月二十七日から三十日まで)で実家へ出かけた。
二週間前に草取りを済ませたところは、また草が生え始めていた。これからは雑草との戦いである。 十一時過ぎに到着して昼食までの時間に妹と畑に出た。すでに植わっている野菜の周辺の草取りから始めた。 絹さやはピンクのかわいい花がたくさん咲いていた。去年は大風が吹いて、横倒しになったのを起こすのに苦労した。
二週間前に訪れたときは、エンドウ豆の白い花がちらほら咲いていたが、大きなサヤになっていて、次回には豆御飯が食べられるだろうか。
タラの芽、柿の若葉、アスパラを天ぷらにしてお昼に食べた。
駐車場のところに植えてあるホオノキも若葉が出て、枝の先に白い大輪の花を咲かせていた。 午後二時頃に雨が降り出して家に入ったが、いったん止んだので再び草取りを始めると雲行きが怪しくなり、冷たい風が吹き出し、勢いよく雨が降ってきたので、再び中断となった。突如、雷が鳴り、パラパラと音が聞こえた。障子を開けるとすさまじい勢いで大粒のアラレがたちまち地面を真っ白に覆った。
初夏になろうとしているのに、家の中は冬の寒さとなって、ストーブを付けた。
大分経って日が差してきたので、外へ出ようとして気がついた。カメラを持ってきていたのに、アラレを撮ることに気付かなかった。アラレが大粒だったのでどこかに残っているかも知れないとあちらこちら見回したが、影も形もなかった。外は、寒くて身震いが出た。
ホームセンターで夏野菜の苗購入
朝からウグイスの高鳴きが響いていた。昨日、トンビか鷹か分からないが、鳴き声が空高く聞こえていた。しばらくすると、小鳥の声がしだしたので、嬉しくなった。
昼近くなって、夫の運転で買い物に出かけた。途中の田んぼでキジの雄を見つけた。最近は鳴き声が聞こえなかったので、てっきり撃ち落とされてしまったかと心配していたが、無事に生き延びている姿に安心した。
ホームセンターに立ち寄って、野菜の苗木を買い求めた。キュウリ、トマト、なす、枝豆、落花生、スイカ、カボチャ、さつまいもなどなど。
ひと冬、大切に屋内で冬越しをさせたパッションフルーツの苗木を移植したが、突然の寒さに枯れてしまい、新しい苗木を購入した。
今回は、妹も一緒だったので、予定通りに農作業がはかどった。
イチゴ、ジャガイモ、ニンニク | ||
にんじん、ブラックベリー、たまねぎ | ||
フレームの中(ぶどう、らっきょ、トマト、キュウリ) | ||
落花生、スイカ、カボチャ、モロヘイヤ | ||
父母、弟が元気だった頃、見事に咲いていた三本の椿は、枝の剪定がうまくいかずに、虫の息だったのを、毎年少しずつ新しい枝を生かして、やっとまたも元のように大輪の花が咲くようになった。 | ||
ぼたんも白、ピンク、赤とあったけれど、これも枯れかかって花が咲かなくなったり、接ぎ木のシャクヤクが出てきてしまったりと災難続きだったが、今年ようやくピンクの花が三輪蕾を持った。到着した日は、蕾だったが、一輪だけ少し膨らみ始めていて、妹と、もしかしたら開くのが見られるかもと楽しみにしていた。しかし、帰るまでに開花は間に合わなかったのが残念だ。 | ||
春が来た
今回は4月12日から15日にかけて出かけた。夫の病状も大分安定してきたため、以前のように出かけることが出来る様になった。
先々週に蕾だった桃の花がここのところの寒さで開花が遅れていたようで、満開だった。見られないかと思っていたが、お花見が出来た。しかし、いつもは迎えてくれていたウグイスの声はとうとう聞こえぬままだった。心なしか小鳥の声も少ないようだ。異常気象のせいなのだろうか。
古河の実家にもとうとう春がやってきた。畑仕事も一段とはかどって、何事もなく過ごせることに、感謝をしながら、せっせと動き回った。
移植したパッションフルーツは寒さのせいで葉が黄色くなって枯れているようだ。やっぱり移植が少し早かったのだろうか。しっかりした太い幹だったのに、残念無念である。
またホームセンターで買い求めるしかないだろう。このところの気象は、例年通りにはいかず、昔は飢饉などで苦労が絶えなかった人間の暮らしを思わずにはいられない。今の世も、いつそのような状況になるかわからないだろうと不安になってくる。
農業は自然とともにあるということが身にしみる。
新年
初遠乗り
古河の実家へ行くことにしていたけれど、夫の薬の副作用などもあり、車の運転に自信が持てないとのことで、取りやめにした。
予定変更のため、今年の味噌作りの材料や実家の外回りの水道の蛇口に凍結予防のための覆いをしないままにしていることや神棚の年越しもしないままになっていたので、いろいろと気がかりだったので、本日の朝突然に夫が「体調がいいから、古河に行ってこよう」と言い出して、急遽出かけた。 実家は特に問題も無く、神棚の清めと水道の蛇口の覆いをかけて、とんぼ返りで帰って来た。往復四時間の運転を夫は無事こなして、運転に自信が持てたと一安心だった。
今月も検査と通院で三回病院へ行かなければならないが、とにかく今年も無事にお正月を迎えることが出来た。