2018

冬の候

誰か教えて
 夫の体調も回復に向かいつつあって、また古河の実家行きが出来るようになっている。今回は十七日(土)から二十日(火)までの予定で出かけた。毎回、下の妹も一緒なので何かと心強い。
 実家に到着した昼近くに、駐車場入り口の木に鷹かトンビらしき鳥が止まっていた。急いでカメラを取り出して焦点を合わせたが、とっさのことで、なかなか思うように出来なかった。車から出る気配に気付かれれば飛び去ってしまうだろう。結局、シャッターチャンスは逃してしまった。
 翌日の朝、庭に出てみると、駐車場の焼却炉の近くから大きな羽音を立てて飛び立つ鳥を見た。目で追うとやはり鷹かトンビのような鳥だった。二日続けて同じ場所で発見した。どうやら近くにすみかがあるようだ。それは嬉しいが、他の小鳥たちの鳴き声が聞けなくなるのは寂しい。その正体もまだつかめていない。
 相変わらず草取りが続いている。茅の茂みの中で白い鶏の卵のような物を発見した。触るとぶよぶよ柔らかい。よく見ると、根っこのようなものが一カ所から生えている。気味が悪い。でも何だか知りたい。
 夫が小さい頃にそれを見つけて潰して遊んだことがあると言った。中から煙のような物が出るのだと言っていた。すると、キノコだろうか。とにかく、茂った龍のひげの上に置いておいた。この次行った時にどうなっているのか、ちょっと不安。

もしかしたら……
先日書いた卵の形をした物はどうやらいろいろ調べてみると、「オニフスベ」というきのこのようです。成熟する前なら食べられるとありました。私は見るからにあやしいので食べる気はしませんが、はんぺんのような口当たりであまりおいしくないとのこと。もし「オニフスベ」なら二十から四十センチになるそうです。夫が言っていたように割れると白い煙が出るとか。子どもの頃に蹴って遊んだという話も書いてあった。
 しかし、庭に突然四十センチにも成長した白い卵を見たら、何が生まれてくるのかと恐ろしくなる。夏から秋にかけて、竹やぶ、広葉樹林、草地、ツツジの下などに発生するらしい。ホコリタケ科に属しているというのだから、確かに中からホコリのような胞子が飛び散るのだろう。
 何はともあれ解ってほっとした。
 ふうたろうさんがすぐに投稿してくださったので、嬉しくなった。ふうたろうさんも知らなかったようで、さっそく調べたことを掲載したのだけれど、実際に私が見たのはゴルフボールほどの大きさだった。二週間後に実家に行く予定なので、もしかしたら成長しているかも知れない。しかし、何物かの餌になっているかも知れない。
 とにかく、トンビのような鷹のような鳥の正体も知りたいし、知らないことばかりが起こる実家の出来事である。

妹と一緒
 由紀さおり・安田祥子姉妹が一緒に童謡を歌っている姿を見ると、私はいつもうらやましく思っていました。 ところが、三人姉妹の一番下の妹が、今年の三月で退職して、すぐに夫の入院騒動があり、その時は、その妹が私の家に泊まり込んで、一緒に病院通いをしてくれました。その時も有り難いと感謝の気持ちでいっぱいだったのですが、夫が車の運転が出来るまでに回復して、また古河の実家(望月窯)に通えるようになり、今度は妹も同伴で農作業や実家の管理をしてくれることになり、私は幸せ感に包まれています。
 半年近く古河に行けなかったので、草ぼうぼうの荒れ放題になっていたところを今は、妹のお陰で元のように畑も出来る様になりました。玉ねぎ、キャベツ、イチゴの苗を植え、大根、にんじん、小松菜、空豆、グリンピース、絹さや、カブなどの種を蒔き、すっかり冬支度が整いました。
 数年前に木を切り倒してその木がゆずの木に倒れ、幹が真っ二つにさけてしまったのをしっかり縛っておいたらくっついて、元気に育っています。ミカンの木も寒さに弱って枯れてしまったようになっていたのを日当たりの良い場所に移植したら、今年になったら根元から新しい枝が伸びてきました。
 ローズマリーの枝の影にカマキリの雌を見つけて写真に撮って、卵を産もうとしているのか、数日経ってもまだカマキリは元の場所でじっとしています。この次来たときにはきっと卵が産み付けられているでしょう。

秋の候

私の妹
 私には二人の妹が居る。下の妹は今年の三月に定年退職した。私の実家通いに「もう少しだからね。仕事を止めたら手伝うからね」と口癖のように言っていた。ところが、仕事を辞めてすぐに私の夫が体調を崩し、二度も入院となった。
 妹は夫の入院中、約二ヶ月あまりを私の家で寝泊まりして、夫の入院している病院へ毎日私に付き添ってくれた。お陰で私は、体調を崩さずに心ゆくまで夫の看病が出来た。
 その甲斐あって、夫の体調は回復しつつある。車の運転も出来るようになったので、またこれまでのように古河の実家通いが始まっている。今回は滞在期間を一日増やし、月に二回行くことにした。荒れ放題だった敷地も頑張って大分もとのように復活した。
 畑も背丈を超えるように伸び放題だった雑草を取り払って、冬野菜を植えることが出来た。
 雑草を取り除くと、春に植えていたジャガイモ、ニンニク、らっきょ、たまねぎなど根菜類が無事だったのには驚いた。
 夫の退院後初めての日は、四泊五日滞在し、先週は三泊四日の滞在となった。
 夫の回復は夢のようで、妹と畑仕事をするなど、若い頃には想像もしなかったが、今は、贅沢な老後を楽しんでいる。
 友人、知人の方々にはご心配をいただき、心から御礼を申し上げます。

春の候

異変
 ここ数週間、古河の実家を訪れるたびに不審に思っていることがあった。それは、小鳥の鳴き声がいっさいしないということである。私たちが到着すると、この時期であればうぐいすの声の歓迎を受ける。それは、「待っていたよ」とばかり挨拶をしてくれることだった。
 そのほか、畑仕事をしていれば、なにがしの小鳥の声が聞こえているのだった。それが今年に限って、小鳥たちの気配さえ感じられないのだった。
 先週末畑仕事をしていると、空高く「ピーヒョロヒョロ」と空高くでさえずる声が聞こえてきた。  その昔、父と訪れた故郷の寂れた駅で電車を待っている時に聞いた鳴き声である。見上げると空高く弧を描いて飛んでいるトンビの群れだった。その懐かしい鳴き声が耳に届いて、私はしばし手元を休めて空を仰いだ。そういえば、最近訪れたとき、トンビが1羽飛んでいたことを思い出した。やがてトンビは群れをなして悠々と我が物顔に飛んでいた。
 私は「これだ」と思った。そうして気をつけていると、トンビが飛び去ってしばらくすると、ケキョケキョと耳慣れたウグイスの声とともに、ほかの小鳥の声も聞こえている。
 どこかにトンビが繁殖したのだろうか。その日はトンビの姿が見えず、少しずつ小鳥の声が戻ってきた。
 庭のカタクリの花が咲き、シュンランもひたむきな淡い黄色の透明感のある花が開いていた。見入っていると、「今年も咲いたわね」と母の声が耳元に響いてきた。
 そうなのだ、古河のこの地は懐かしい肉親が眠る魂鎮めの郷なのだ。

冬の候

御蛇様、お引っ越し
 今年は戌年であるけれど、私は年の初めに蛇のことを書こうと思った。というのは、昨年中は古河の実家で何度も蛇のお出ましにあった。記念館の入り口はほとんど一日中陽が当たり、生き物には最高の場所である。もちろん、寒さを嫌う蛇の住処としてはお気に入りの場所なのであろう。どうやらこの場所の地中に蛇が住処を構えたらしい。
 昨年の春先に草むしりをしていたら蛇がとぐろを巻いていた。私はギョッとしたけれど、そのままやり過ごした。その後も気温が上がるにつれ、その場所で長々と体を伸ばしてひなたぼっこをしている蛇様に出くわした。何度出会っても「ギョッ」と一瞬体が固まってしまう。「また脅かしたわね」と苦笑しながら、スルスルと地を這って逃げていく後ろ姿を目で追った。 蛇は家の守り神だから、自らに言い聞かせながら、そのときはまだ放りっぱなしにしていた。 夏のある日、ニンニクの植えて防虫ネットで囲ってあるその中に一メートル以上もあろうかと思える御蛇様の姿に出くわしたときには、今までにない「寒気」を覚えて、思わず殺虫剤を取り出して、無我夢中でかけまくってしまった。けれど蛇様は私の気配を察知して、するすると地中に逃げ込んでいった。
 またあるときは、家の入り口に長々と横たわっているのに出くわした。
 蛇は両親、弟が暮らしていた頃にはよく現れて、弟は、生け捕りにする器具を自分で作り、それで捕まえては、田んぼの方まで捨てに行っていた。その器具は、長く細い棒の先に針金の輪を取り付け、釣り糸を通して、その釣り糸で輪を作り、蛇の頭が通ると釣り糸を素早く引いて蛇の首を絞めて生け捕りにするのだ。
 落ち葉掃きの季節が訪れて、御蛇様の住処から少し離れた場所にカラカラに乾いた長い抜け殻を見つけた。そして、脱皮して一段と成長した御蛇様にまたまた遭遇した。まだまだ勢いが良く、生け捕りの輪をなんなく交わしてしまった。 家の守り神とはいえ、何度も「ギョッ」とさせられては、気が休まらないと思いながらも、その姿を目で追うだけの日々が続いた。
 そして、年の暮れの落ち葉掃きの時、その日は気温もあまり低くなく、住処から抜け出してのんびりとひなたぼっこをしている蛇様とご対面。お互いににらみ合う格好になった。というのも、もう外気温は蛇様の活動には不向きとなっているらしく、まるで催眠術にでもかかったように、その動きは緩慢である。生け捕りの棒の先でつついても、もどかしい動きである。私は輪を作って御蛇様の頭の方から少しずつ迫った。幸いにも蛇様はゆっくりとその輪の中へ頭を差し入れてゆく。十センチも進んだろうか。私は糸を引いた。「お許しあれ」と私はなおも糸を引き締めた。それから身のすくむ思いでその棒を持ち上げ、ゆっくりと田んぼの方へ歩いて行った。
 途中、御蛇様は苦し紛れに絞まった首の輪をはずそうともがいて、棒に細長い体を巻き付けている。意外にその重さは片手では持ちきれない感じで、私は必死で糸を引きながら五分ほどの田んぼまでの道のりを、心を震わせて運び続けた。 やがて、田んぼの用水路にたどり着くと、私は糸を緩めた。御蛇様は少しずつ糸の輪を通り抜けていった。
 いくら家の守り神様でも、出くわすたびに驚かされてしまっては、住み続けていただくわけにも行かない。第一、ペットのように慣れることはできない私だった。 それでも、とにかくお引っ越しの後は、さすがに後味が悪い。その夜の夢に、ちゃんと御蛇様が姿を現した。けれど、私の行為をとがめているわけでもないようで、その夢は寝覚めの悪いものではなかった。私が気にしていたので気にするなと現れてくれたのかもしれない。 御蛇様は、年の暮れのお引っ越しで、新しい住処を見つけるのに大忙しだったかもしれない。

待ち遠しい春
 昨年の暮れの27日から古河の実家へ出かけた。お正月3日まで滞在した。暮れには父、母、弟を偲び、神棚のお掃除と飾り付けをした。父が毎年やっていたことを私が受け継ぐことになって、感無量である。
 大地が凍り付いて鍬もシャベルも歯が立たない。真冬の畑は私の力は用無しである。  気がかりだった屋内の大掃除を試みた。掃いても掃いてもどこからともなく誇りが舞い落ちてくる。長いこと放りっぱなしだったために、汚れがこびりついている。手がアカギレだらけになって、ガサガサになった。お風呂上がりにクリームを何度もなすりこんで、どうにか元に戻りつつある。
 実家の朝は、雨戸を開けることから始まる。六時半から7時頃に起きるのだが、東の空はほんのり明るんでいるが、まだ日の出る気配はない。それでも澄んだ空気を胸いっぱい吸い込むと、新しい1日の始まりが嬉しい。やがて、部屋の中に暖かな陽光が満ちてくる。
 夜の風景も神秘的だ。月の光が白く暗闇を照らし、どこからともなく姿を現しそうな夜の精たちを探して、目をこらす。もし現れたら恐ろしい気もするが、あたりを探さずにはいられない。
 でも、なんと言っても、草木が緑に染まる春が待ち遠しい。暖かな太陽を浴びて、畑仕事に精を出す春の訪れが恋しい。