春が来て、いや春が来ても

 二月二十五日(金曜日)、寝起きの夜明け前にあって、体感温度も、気温も、かなり緩んでいる。春が来て、このところの私は、自然界の恩恵を満喫ちゅうである。庭中の梅の木は、すでに蕾を綻ばせて、花開いている。きのうの昼間、周回道路をそぞろ歩かれている、高齢のご夫婦連れに出会った。ご夫婦はふと立ち止まり、側壁の上の法面に、しばし目を凝らされた。旦那さんが手を伸ばして、フキノトウを一つ摘んだ。「採らないでください」。私は息を詰めて、こんな野暮な言葉を呑んだ。本当のところは、制止の言葉をかけたい思いだった。しかし、堪えて我慢した。なぜならご夫婦は、春の訪れと暖かさに誘われて、心和んでのんびりとした散歩の途中なのだろう。近づいて、「フキノトウ、ありましたね」と、言うのもまた野暮なことである。なぜならご夫婦にたいして、盗人の恐怖心を与えかねないからである。私は意識して素知らぬ風情をよそおい、なおいくらかご夫婦から離れた。そして、ご夫婦を振り向くことなく、最寄りの「鎌倉湖畔商店街」へ急いだ。わが速足は、妻が電話で依頼していた総菜類をもらいに行ったのである。
 寝起きにあって、もちろんでたらめではないけれど、書かずもがなの文章を書いた。日本の国は平和である。とりわけ、わが周辺は、飛びっきり平和である。自然界はのどかである。きのう、懸案の「ウクライナ問題」は、宣戦布告なしに戦端が開いた。人間界は、暖かい春が来ても、冷酷至極、きわめて愚かである。