ままならない、睡眠生活

 きのうは二度寝にありつけて、逆に寝すぎて慌てふためいて、きょう(二月九日・水曜日)へ繋げるだけの文章を書いた。ところがきょうは二度寝にありつけず、長いあいだ悶々として、寝床で夜明けの訪れを待っていた。それでも待ちきれずに、ヨタヨタと起き出してきた。前者は慌てることにはなったけれど眠れて、まだ幸運だった。ところが後者は、不快すなわち不運ばかりである。それなのに後者は、常態化しながらいっそう深みに嵌りつつある。こんなままならないわが睡眠生活は、もちろん精神にも身体にも良いはずはない。一言で言えば、とことん恨めしいかぎりである。あえて強がりの一つを言えば、二度寝に落ちずに起き出してくれば、執筆の時間だけにはたっぷりと恵まれる。ところが、それに反して精神状態は尋常ならず、文章いや代物さえも書けない。なぜなら文章は、心象風景の表現にすぎない。心象風景は、その時々の精神状態の良し悪しに左右される。おのずから、文章の出来不出来の源となる。つまり、現在のわが精神状態では、文章自体が書けない。
 人間は万物の霊長と崇められている。しかしながら私は、もとよりこの範疇には入れない。ねだって人間にとどまりたければ、人間の屑に仕分けされるであろう。涙をのんで、自認するところである。きのうに続いてきょうもまた、文章とは言えないものを書いた。私は、愚か者である。
 夜明けの朝日は見えず、まだ真っ暗闇である。明日は大雪予報である。そんななかにあって私には、三回目のコロナワクチンの接種予定がある。そのため明日は、文章は沙汰止みになりそうである。いや実際のところは、わが睡眠生活の出来不出来しだいである。脳髄と体の震えが止まらない。脳髄は凡愚、体は寒さのせいである。